【塾コラム】勉強の体験は 「記憶の保持」に影響を与える

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スミスやほかの心理学者たちが行った実験は、当然ながら勉強の仕方を教えてくれるものではない。実際の試験のときに個人的なBGMを思いだす手がかりにすることはできないし、試験会場を自分が勉強した場所と同じ家具や壁紙にしたり、同じ環境にしたりすることはできない。

 塾でも同じことです。天王寺だろうが東京都だろうが関係なく。

仮にできたとしても、どれが重要なきっかけになるのかも、どれほどの効力があるのかもわからない。とはいえ、スミスの実験によって、今後勉強するときの参考になる貴重なポイントが明らかになった。一つは、学習についての前提が、間違っているとはいかながいまでも疑わしいということ。何しろ、勉強する環境には、音楽などの何かがあるほうが、何もない環境よりもいいということがわつかったのだ(これまでの静かな勉強部屋の聖域扱いはいったい何だったのか)

そしてもう一つのポイントは、勉強という体験には自覚している以上にさまざまな面があり、そのなかには記憶の保持に影響を与えうる面があるということ。科学者たちの言う、思いだすきっかけとなる背景情報ー音楽、照明、壁の色などーは、不本意ではあるが一時的なものだ。それは間違いない。それに、意識することもないので、たいていは思いだそうと思っても思いだせない。

とはいえ、生活のなかで何かをしているときに、それを認識することはできる。門かを勉強していた場所や時間を正確に思いだす瞬間を思い描いてみてほしい。

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高校の選抜チームやプロムクイーンに選ばれた瞬間のことではない。たとえば、オーストリアのフランツ・フェルディナント大公を暗殺した人物は誰か、ソクラテスは何が原因でどのように亡くなったかなど、授業で教わった事実にもとづく意味記憶を学んだ場所や時間のことだ。

私がそう言われて思い浮かべるのは、1982年のある晩に、大学の数学研究棟で試験勉強をしていたときのことだ。当時、大学の建物は一晩中開放されていたので、勝手に入って教室を使うことができた。教科書を広げるのも黒板を使うのも自由で、ビールを持ったルームメイトが突然入ってくるなどの誘惑は一切ない。私はずっとその棟の一室で勉強していた。私以外では、年配の男性が廊下をうろつくことがあった。

格好はみすぼらしかったが物腰は柔らかく、かつては物理の教師をしていた。たまに私がいる教室に入ってきては、「どうして時計にクォーツが使われているか知っているか?」といった質問を投げかけた。知らないと答えると、説明してくれた。彼の話は論理的で、知識も本物だった。そしてある晩、彼は教室に入ってくるいつもの場所、静かな環境で勉強するのは非効率と、幾何学図形を使ってピタゴラスの定理を導きだす方法を知っているかと尋ねた。私は知らなかった。ピタゴラスの定理は数学でもっとも有名な定理で、直角三角形の短い2辺の二乗を足すと、もっとも長い辺の一乗になるというものだ。私は「a+b=c」の形で覚えていたが、それを学んだときに自分がどこにいたのかはまったく覚えていない。

だが、その晩、その定理を導きだすシンプルなーそして美しいー方法を教わったことは思いだせる。しかも、そのときに彼が何を着てたか(青のスラックスを胸まで引っ張り上げて)、どんな声だったか(ほとんど聞こえないくらいの音量でブツブツしゃべっていた)をはじめ、彼が黒板に図を描いた位置(黒板の左下だった)まで正確に思いだすことができる。彼の説明は、cを一辺とする大きな正方形の面積を計算し、正方形を構成する図形の面積の合計が等しくなれば証明できるというものだった。つまり、四つの三角形と、真ん中の小さな四角形の面積を足すのだ。やってみてほしい。

方程式の右側を簡約したらどうなるかを。私は、ミーティングで一番のりになったときなど、薄暗い蛍光灯の教室や会議室にひとり座るたびにこの方程式を思いだす。そういう場所が、あの晩の出来事と方程式の記憶を呼び戻すきっかけとなるのだ(三角形の位置を正確に思いだすのには多少時間がかかるが)。この種の背景情報が記憶を呼び戻すきっかけとなるのは、それを意識したときや日にしたときだ。私がそれらを思いだすことができるのは、そういう背景情報もエピソード記憶の一部だからだ。つまり、少なくとも新しい事実の保持に関しては、無意識で認識している事実も貴重だと学が教えてくれているのだ。ただし、どんなときも必ずというわけではないし(分析作業に没しているときなどは、背景情報は無意識にも残りにくい)、すべての情報が必要というわけでもなときどき貴重な存在になるという話だ。

いずれにせよ、学習に有利になるのであれば、どんなことでも利用したほうがいいあの晩については、ほか私はいつも彼の話につきあった。だから、喜んで彼の説明に耳を傾け、彼の語る「最近の物理の学生がいかにこういうことを何一つ学ほうとしないか」という話にまで聞き入った。そのときの気分も、私が置かれていた「環境」の一部だったと言える。いまでもはっきりと覚えている。そういう状態でなかったら、彼の講義を大人しく聞こうとはしなかっただろう。日や耳に入る情報の復元についての理論が正しいとするならば、その理論は心の内側の精神状態にも当てはまると示す必要があるのではないか。嫉妬、不安、不機嫌、確信など、頭のなかを駆け巡るありとあらゆる感情も、記憶を呼び戻すきっかけとなるはずだ。だが、どうすればそれが証明できるのか?

(次の記事に続く)

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