たどった記憶は絶えず変化し続ける

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ストーリーをつくる部位についてわかっているのは…

それが左半球のどこかに存在するということだけだ。

それがどのように機能するのか、どうやって膨大な情報を瞬時に関連づけているのかは、まだ解明されていない。

しかし、その部位に名前はある。ガザニガは、左脳にあるストーリーをつくりあげる部位のことを「インタープリター」と名づけた。

この部位が、人生という映画の製作チームをとりまとめる監督だ。

各スペシャリストがつくり出す素材からパターンを見いだして私見を加え、各シーンを意味のあるものにする役割、そして、主題が理解できるよう全体のつじつまを合わせる役割を担う。しかも、意味のあるものにするだけでない。

ガザニガの言葉を借りるなら、ストーリーをつくりあげることまでする。意味、ストーリー、因果関係を創作するのだ。
つまり、この部位は情報を解釈するだけのインタープリターではない。

ストーリーをつくりあげるストーリーメーカーでもあるのだ。

この部位は、記憶を形成する段階に欠かせない。

出来事があった瞬間に「いま何が起こったのか?」と慌ただしく問いただし、海馬を通じて自らの判断を脳に組み込む。

だが、これは働きのほんの一部にすぎない。この部位は、「昨日何があったか?」「昨晩の夕食に何を作ったか?」といった問にも答える。

また、世界の宗教について授業で学んでいるときに、「以前に習った、仏教の教えの四つの真理は何だったか?」という問いにも答える。

このときもやはり、手に入れられるだけの証拠を集めようとするが、このケースのような場合は、外からではなく、

脳内にある知覚的な手がかりや事実に関係のありそうな手がかりだけを集める。そして考える。

ブッダの真理を思いだそうと、まずは一つの真理、あるいはその真理の断片を思いだそうとする。

そして「苦」という言葉が引っかかる。そうだ、ブッダは苦について語っていた。

苦とは○○で、それを理解する必要があると言ったのだった。

よし、これで真理の一つはわかった。二つ目の真理は瞑想に関係があったはずだ。

自発的に行動するのではなく、解放する。解放するのは「苦」だろうか?そうだ。

少なくとも、これに近い答えのはずだ。そしてもう一つの真理は、自然の道と法衣をまとった僧侶が歩く姿が浮かぶ。ということは、道だ。

大学の受験勉強もストーリーで覚える

順序立て、ストーリーのように覚えると暗記しやすいのは有名なことです。

この特性を利用して受験勉強を進める塾も天王寺にはたくさんあります。

これは多くの学習に応用できる事かもしれません。

まずは道を作る。その道に沿って覚えていく。そうすれば今の受験勉強がより効率的になるかもしれない。

道を歩くか、道に従うが答えか?

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このようなことが延々と続く。この声を巻き戻して聞くたびに、キッチンの煙の匂いやセールスの電話といった新たな詳細が加わる。

落ち着いた気持ちで「解放するのは苦」と思い返すと、いや、解放するのは「苦の源」だと思い直す。

「道を歩く」ではなく「道を切り開く」だと思い直す。こうした詳細が浮かぶと、「新たな情報」のように感じる。

それは、自分が意識するよりも多くの情報を脳が吸収しているからだ。

それにより、自覚せずに知覚したことが、思いだしている最中に意識の表面に出てくることがあるのだ。

つまり、脳に保存される事実、アイデア、経験は、コンピュータに保存されるような形では保存されないということだ。

クリック一つで開くファイルとして、いつでもまったく同じアイコンを表示させるようにはいかない。

脳の場合は、知覚、事実、思考のネットワークに組み込まれるという形で保存される。

そして、思いだすたびに、そのネットワークに組み込まれるものが若干変わる。

そうして思いだした記憶は、以前に思いだした記憶を上書きするものではない。

それと結びつき、重なりあうものである。

完全に失われるものは何もないが、たどった記憶は絶えず変化し続ける。

科学者たちの言葉を借りるなら、記憶を使えば記憶は変わるのだ。

ニューロンや細胞のネットワークについて学び、ラシュリーのラット、H・M、海馬の働き、分離脳患者、

ストーリーメーカーの存在を知ったいま、記憶が変わるというのはごく基本的なこと、いや、当たり前のことのように思えるかもしれない。

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