塾トピックス【一度忘れた記憶は回復する?】

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記憶が回復
これから、文学を楽しみながらできる簡単なエクササイズを紹介する。全部覚えるつもりで慎重に読んでもらいたい。これは、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの「ヘスペラス号の難破」の一節である。

夜明けの寒々とした海辺にひとりの漁師が呆然と立っていた少女の姿をはっきり見ようと波に漂うマストへ駆け寄る。
塩水が少女の胸の上で凍り、水の梅涙が少女の目にたまっているそして漁師は少女の髪を見た茶色い海草のように波間を漂っている。へスペラス号が難破したのだ 雪の降る真夜中に.
ー キリストはこのような死からみなを救うノルマンズ・ウーの岩礁でも救ってくれるのだー

では、本を脇に置いて、コーヒーを海れたり、部屋の外に出たり、ニュースを聞いたりしてほしい。5分ほど、つまり勉強と同じ時間だけ別のことをするのだ。それから、覚えているかぎりの詩の内容を書きだす。書いたものは保存しておくこと(後から必要になる)。これとまったく同じテストが初めて実施されたのは、1900年代初めのことだった ス人の教師で研究者のフィリップ・ボスウッド・バラードが、ロンドンの労働者階級が暮らすイーストエンドの学校でこのテストを実施したのだ。その学校の子どもたちは学力が低いと思われ ていて、バラードはその理由を探ろうと考えた。覚える能力がそもそも低いのか。それとも、後 から思いだす能力に問題があるのか。それを明らかにするため、バラードは子どもたちにさまざ まな教材を覚えさせ(例にあげたロングフェローの詩のような物語詩を含む)、彼らの学習のどこに問題があるのかを突きとめようとした。だが結局、子どもたちの学習能力に、欠けていると明言できるものは何一つ見つからなかつた。

しかし、バラードの実験はこれで終わらなかった。勉強してから数日たつと、それを知るため、最初のテストの2日後に同じテストをもう一度行い、思いだせなくなるのか実施した。生徒は再テストがあると知らされずに受けたが、前回に比べて平均6パーセント点数が高くなった。バラードは、その数日後にさらにもう一度、やはり事前に通達せずに同じテストを行った。
「J・Tは、最初は8行しか書けなかったが、2日後は12行書けた」

Alphabet

テストで8行書いた生徒は、バラードに向かって「書き始めると、日の前の用紙に詩が浮かびあがってきました」と言ったとい このような改善が見られるのは、単に奇妙というだけではない。エビングハウスの見解と真っ向から対立する。バラードは日の前の結果に疑問を抱き、同じようなテストを何百回と行った。その後数年かけて、1万以上の教材を使って実験を試みた。だが結果は同じだった それ以上勉強しなくても2、3日のうちに改善し、平均して4日後以降バラードの実験を評価する科学者はほとんどいなかった。

いまに至っても、彼はエビングハウスとは比べものにならないほど無名の存在だ。だが行った実験の意味をしっかりと理解していた。「人間には一度覚えたことを忘れる傾向がある。がそれだけではない」と彼は言う。

「一度忘れたことを思いだす傾向も備わっている」 時間の経過に伴う記憶の性質は、減退に向かうだけではない。

それとは別にもう一つあるのだ。そのもう一つをバラードは「レミニセンス」と呼んだ。これは一種の成長で、覚えていると思 っていなかった事実や言葉が浮かびあがってくる性質を指す。

どちらの性質も、詩や言葉の一覧 を覚えようとした数日後に現れる。

なぜ、このようなことが起こりうるのだろう? そのヒントを与えてくれるのがエビングハウスだ。彼は無意味な音節だけを使って自らの記憶をテストした。脳にはそういう意味のない3文字の「居場所」がない。

音節どうしでも、音節以 外のものとも関連性がなく、構造化された言語やパターンの一部をなさない。脳がそういう無意 味な音節を長く保持できないのは、意味をなさないものだからだ。

エビングハウス自身もそのことはしっかりと認識していて、有名な忘却曲線は、彼自身が記憶を試みたもの以外には適用できない。

思いだしていいうプロセスは、記憶の衰退という受動的なプロセスだけでなく、情報をふるいにかけるという能動的なプロセスでもある。余計な情報を遮断し、役に立たない雑 音を一掃する役割を果たす。無意味な音節は雑音だ。一方、ロングフェローの「ヘスペラス号の 難破」は雑音ではない。この詩が日常生活の役に立つかどうかはわからないが、少なくとも、私 たちが認識できる言葉やパターンとして、ニューロンのネットワークに組み込まれる。これがお そらく、無意味な音節と、詩や短編小説など意味のある教材とで覚えるのに差が生まれる理由なのだろう。

とはいえ、この理由では、復習なしで2日後に再テストを実施したときに思いだす量が「増える」現象が説明できるとは言いがたい。「塩水の涙」や「茶色い海草のように」が、脳の奥深くから浮かびあがってくる理由にはならない。

思いだすのが「ゆっくり」なイーストエンドの生徒たちは、思いだすことと忘れることの関係は、誰もが思い込んでいたような関係ではないとバラードに教えてくれた。忘却曲線は誤解を招くものだった。少なくとも、不完全なものであることは間違いない。この 曲線は、一から見直す必要があるのかもしれない。

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