Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/happyedu/juku.site/public_html/osaka/wp-includes/post-template.php on line 284

【塾トピックス】バラードの研究結果が認められた

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

images
バラードが研究成果を発表してから数十年が過ぎた頃、何もしなくても思いだす量が増えるという「自然な改善」に対する関心の炎が静かに燃えあがり始めた。その効果はあらゆる種類の学習のなかで簡単に見つけられるはずだと科学者たちは考えた。
ところがそうはいかなかった。さまざまな実験を記録したところ、結果に規則性は見いだせなかった。

たとえば、1924年に実施された大規模な実験では、単語の一覧を被験者に覚えてもらい、その後直ちに確認テストをした。それから、8分、B分、3日、1週間後にも再度テストを実施した。すると、結果の平均は悪くなる一方で、改善は見られなかった。1937年の無意味な音節を覚えさせた実験では、5分後のテストではいくらかの自然な改善見られたものの、その後点数は下がった。

広く引用されている1940年に実施された実験で
、単語の一覧、短い文章の一覧、散文1段落を被験者に覚えさせたが、劉時間後にはどれも思だす量が減少した。どれか1種類の教材、たとえば詩の記憶に改善が見られることはあっても、単語の一覧といったほかの教材で反対の結果が表れた。

「実験を行おうとする心理学者たちは、バラードのアプローチを利用し始めた。そして、流砂にとらわれたかのように、混乱と疑念にはまり込んでいった」と、ブルックリンカレッジ心理学教授のマシュー・ヒュー・ェルデリは自著で綴っている。

こうして異なる結果が表れたことから、当然、バラードの方法を疑う声があがった。彼がテストを実施した子どもたちは、本当に時間がたってからのほうが多く思いだしたのだろうか?それとも、実験のやり方に何か不備があったから改善したのか?たとえば、次のテストを受けるまでのあいだに、子どもが詩を復習していた可能性はなかったのか?その場合、バラードの実験は何の意味もなさない。

学習理論を研究するイギリスのC・E・バクストンは、1943年までに発表された調査を検証したレビュー論文を発表し、学会に大きな影響を与えた。このなかで彼は、バラードが提唱した自然な改善の効果は「見ようとすると起きない」のだから、要は幻影だと結論づけた。パクストンの提示にならって追究をやめる科学者が次々に現れるのに、そう長くはかか影を追いかけるくらいなら、心理学というツールを使ってできる有意義なことはほかにたくさん

あった。時代の先端を行く研究がそれではなかったのは確かだ。フロイトの精神療法が台頭すると、抑圧された記憶を回復するというフロイトの考えは、心理学者らの日に魅力的に映り、バラードのロングフェローの一節を容易に圧倒した。フロイトとバラードの主張は、ともに一度忘れた記憶が回復するというまったく同じものだった。

ただし、フロイトの言う記憶は、抑圧された心的外傷を指す。それらを掘り起こして「向きあう」ことが、慢性的な機能不全をもたらす不安からの解放につながるというのが彼の主張だ。記憶の回復が人生を変えるとフロイトは言う。フロイトの言う記憶が幻影だとしても、暗唱した詩の山とは比べものにならないほど現実味がある幻影だ。

それに、別世紀半ばの学習の科学で実際に注目を集めていたのは「強化」だった。行動主義の研究が真っ盛りだったのだ。アメリカ人心理学者のB・F・スキナーは、賞罰が行動にどのように変化をもたらし、また、多くの状況でどのように学習を加速させるかを示した。スキナーはさまざまな報償を用意して比較実験したのだが、その結果は意外なものだった。

正しい答えを出すたびに自動的に報償を与えても、ほとんど学習にはつながらず、断続的にときおり報償を与えるかに学習効果が高いのだ。スキナーの研究は教育者に多大な影響を与え、教え方の注日が集まり、記憶の特異な点には見向きもされなくなって、バラードの研究結果がすっかり消え去ったわけで。

少数の心理学者たり続けた。彼らは、何か大事なことが見過ごされてもしれないという考、バラードの研究がになっていた結論を言えば方法に不備があったのではない。考えてみれば、最初の確認テストを受けた後習することなどできなかったはずだ。覚えていないものを練習できるわけがない。

作為な文章の一覧を覚えても、その効力は一切表れない。覚えた翌日や2日後に確認テストを行っても、点数の自然な改善は見られない。ところが、映像、写真、スケッチ画、絵画、そして詩などの何かを描写する言葉や文章になると、高い効力が表れる。

それも、時間がたってから表れる。バは、最初のテストでは思いだせなかった詩の行が、効力がもっとも強く表れる、覚えてから数日後に「浮かびあがってくる」ことを見いだした。ほかの研究者たちもそれを見いだそうとしたが、数分後というようにテストするのが早すぎたり、1週間後というように遅すぎたりしたから見いだせなかったのだ。

マシュー・エルデリは、「レミニセンス」を明らかにした心理学者のひとりだった。彼は、研究室の後輩にあたるジェフ・クラインバードを被験者にすることから実験を始め、その後スタンフォード大学で実験を行っだエルデリはクラインバードにQ枚の絵を一度に覚えさせた。

そのときは、誰かで実験をする前に「自ら被験者を経験しておくべきだ」と言ってクラインバードを説き伏せた。そして本当にクラインバードは被験者となり、エルデリは覚えさせてから1週間のあいだに、何度も突発的にテストを実施した。その結果は明快だった。覚えてから2日のあいだに実施したテストで、思いだせる量が増えたのだ。
この結果は信頼できると考えたふたりは、大規模な実験を行うことにした。ある実験では、若者を集めて%枚のスケッチ画を覚えさせた。スクリーンに5秒間隔で1枚ずつ映しだされるのを見て覚えるという方法で、スケッチ画は、ブーツ、椅子、テレビといったわかりやすいものばかりを選んだ。すべてを見せた直後にテストを実施し、7分の制限間で思いだせるスケッチ画を言葉で書きださせた(スケッチ画に言葉は一切書かれていなかった)。

テストの平均点は50だった。だが、2時間後のテストの平均点は60、1日後のテストでは70、4日後には80まで上昇し、そこで頭打ちとなった。一方、スクリーンに映しだされた「単語」を覚えたグループは、2時間後のテストで最初の平均点40から50に改善したが、それ以上の改善はなかった。その後数日のあいだに、徐々に点数は下がっていった。

もはや議論の余地はない。エルデリが論文で述べたように、記憶は「異なる機能が不規則に働くシステムであり、時間の経過とともに改善と減少の両方が起こる」のだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加