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【塾コラム】ゲイツの研究を進展させた スピッツァー

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ここでは前回の記事に続いて、学習の礎を築いた歴史的に偉大な二人を紹介します。
塾で勉強していても、学校で勉強していてもなかなか知ることができない内容なので是非読んでもらいたいです。

ゲイツの発見した理論はは画期的な発見だったのか?答えはイエスだ。この発見は、初めて厳密な実験にもとづいて実証された学習テクニックであり、もっとも効果が高いテクニックの一つとみなされている。しかし、当時そう考える人はひとりもおらず、学校に通う一部の子どもたちを対象とした、単なる一つの実験にすぎなかった。

ゲイツ自身ですら、その結果が及ぼす影響の大きさに考えを巡らせていなかった。少なくとも記憶の一要素としれていない。彼のこの研究は、議論されることも追跡調査が行われることもほとんどなかった

その理由は至って明快だと私は思う。20世紀の半ばあたりまで、心理学は比較的若く成長が不安定な学問で、著名な学者たちが発展の足を引っ張っていた。当時はまだフロイトの考え方が長い影を落としていて、それに追随する研究プロジェクトが何百とあった。また、イワン・パブロフの実験をきっかけに条件づけ学習に関する研究が人気となり、その後何十年にもわたって動物実験が大半を占める刺激の反応実験が盛んに行われた。教育に関する研究は手探りの段階で、調査対象は、読むこと、学習障害、音声学、さらには、学校の成績に感情的な側面が及ぼす影響にまで及んだ。

ここで忘れてはならないのが、心理学もほかの科学と同じで、過去の参考になる研究の収集が、進展の一端を担っているということだ。科学者は、アイデアや理論を思いついたり、日標を持ったりすると、過去を振り返って足場になる研究はないかと探す。同じアイデアを抱いた人や、自分のアイデアを支持する成果に目を向けるのだ。

科学は偉大な巨人が築いた礎の上に成り立っているかもしれないが、現在進行形で研究を行っている科学者には、過去の文献をあたってその巨人たちが誰かを確認することが必要となる。また、過去のデータから有益な情報を引きだす、つまりは足場とする過去の成果を見いだすことは、研究プロジェクトの根拠を生みだすことにもつながると言える。

偉人を受け継ぐ偉人

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ゲイツの貢献の大きさは当時は明らかにならなかったが、その重要性に世間が気づくのは自明だった。教育の改善は、当時もいまも関心を集めるテーマの一つだからだ。そして、ゲイツの論文が発表されてから10年以上がたった1930年代後半、ゲイツの研究が自身の研究の根拠になると気づいた者がいた。アイオワ州立大学で博士課程の学生だったヘルベルト・F・スピッツァーだ。

1938年、彼は卒論実験のテーマを探していた。暗唱そのものには興味がなかったため、記奥の詳細について研究する従来の心理学者たちが結成した小さなクラブには所属しなかった。

スピッツァーは指導法を改善する道を探したいと考えていた。一般に、教師がその職に就いたときから抱える最大の疑問は、もっとも効果的なテストのタイミングはいつかということだ。学期末で大きな試験を1回するのがベストなのか。それとも、学期の途中で定期的に何回かテストを課すほうがいいのか?

スピッツァーがどう思っていたかは、何も書き残していないので想像することしかできない。ただ、彼がゲイッの研究を読んだことは書き記している。また、彼がゲイツの研究をきちんと受けとめていたこともわかっている。具体的に言うと、スピッツァーは、ゲイツは暗唱という形で子どもたちに自らテストすることを課していたと気づ5分か10分かけてページの一節を読み、それからページを伏せて何も見ずに暗唱する。これは暗唱の練習になるだけではない。一種のテストでもある。ゲイツは、自分で自分をテストすることが本番での発表に大きく影響することを実証した。要するに、テストを課すことは、効果的な勉強法の一種でもあるということだ。

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