天王寺の塾での数学や英語の勉強はちょっと横に置いといて、ちょっとした小話も気分転換だと思って読んでみてください。
先に紹介したヘルマン・エビングハウスは、学習の科学に初めて「言語」を与えてくれた研究者だ。その言語は無意味な音節だった。彼は成人してからの大半の時間を、無意味な音節を作り、それらの順序を入れ替え、短いリストや長いリストにまとめることに費やした。
さらに、10分、あるそれ以上の時間を定めてリストを勉強し、その後覚えているかどうかのテストをし、覚えたリストと学習時間の長さに照らしてテストの結果を念入りに確認した。彼は複雑な記録をとり続けた。得た数値をすべて方程式にあてはめ、逆算してそれらを確認しては、学習に費やす時間を変えて再び覚え直してテストをした。
このテストの結果は、、、
彼の実験には学習時間の分散も含まれていた。そして、一日に3回繰り返し練習し、その翌日にもう7回練習すれば、Bの音節をすらすら書けるようになることがわかった。ところが、覚える時間を3日に分散すると、たった%回の練習ですらすら書けるようになった。「ある程度繰り返し練習する場合、一度にまとめて練習するよりも、練習時間を適切に分散したほうが明らかに効率が良い」と彼は書き残している。
エピングハウスは、学習という研究分野を創設するとともに、学習時間を分散することの効果も発見したのだ。しかし、彼の研究を引き継いだ科学者は、ほとんど進展のない調査を大量に実施しただけだった。優生学の信奉者として有名なオーストリア出身の心理学者アドルフ・ヨストは、間隔をあけた学習の効果について(無意味な音節を使って)独自に研究し、1897年に「ヨストの法則」として知られる理論を発表した。
「二つの連合があり、強さは同等だが古さが異なる場合、新たに反復する価値は古いほうが高い」というものだ。わかりやすく言い換えると、「新しい概念を学んですぐに復習しても、記憶の定着を高める効果はあまりなく、1時間後、あるいは1日後に復習すると定着が高まる」となる。
ヨストは基本的に、エビングハウスの実験の一つを再現したにすぎない。それでエビングハウスとまったく同じことを発見し、自らの名前をつけた法則として発表した。エビングハウスの実験から何一つ進展していないにもかかわらず、進展したように思わせることに成功したのだ。
驚くほど塾も天王寺も受験も全く関係ないが、、、これも気分転換の一つ。
ほかの心理学者たちはヨストにならい、まずは無意味な音節の数を増やした実験から始め、しだいに単語や対になる単語へと実験の対象を変えていった。ある意味、別世紀前半のあいだに、学習の科学に関する研究は後退したと言える。ヨストに追随した心理学者たちは、少数の被験者に「一覧にまとめて」もしくは「一つずつ順に」何かを数分おきに見せていた(実験によっては秒単位で見せることもあった)。実験の細部にとらわれすぎていたため、1960年の時点で彼らが実証できたのは、非常に短い間隔における分散効果がほとんどだった。たとえば、第5代アメリカ合衆国大統領はジェームズ・モンローだと続けて3回聞けば、しばらくは覚えている。だが、5分間隔をあけて3回聞くほうが、もっと長く覚えていられる。
心理学者も目をつけた
こういうことは、5歳の弟との雑学合戦の前に知っていたら便利だ。とはいえ、短い間隔での効果はわかったが、もっと大きな問いの答えはまだわからない。分散学習は、学校や人生で役立つ知識の土台を構築し維持する助けとなるのだろうか?
1970年代に入ると、この問いの答えを見つけようとする心理学者がしだいに増え始める。何か大事なことが見過ごされていると感じたのだ。この分野における従来の研究全体に疑問を投げかける者が現れた。
エビングハウスの手法の信頼性も例外ではなかった。
すべてはベトナム反戦運動が起きていたあいだに始まった。疑問を抱いていた時期だと、オハイオ・ウェスレャン大学の心シリックは私に話した「そういう時則だったから、我々が抱いていたょうなシのシきだし、人々が声をあげるようになった。これまでずっと、この分野の巨人たちをみてきた、それでいったい何が生まれたというのだ。
教師も学生も、研究室で5分勉強していくつ単語を覚えられたかといったことに興味はない。知りたいのは、シファツ。ドイツ語の習得にどのような影響を与えるのか、数学や科学の理解にどう影響を与えるか。だが、我々はそうした疑問に答えらなかった。
答えるためには、これまでとはまったく違うことをする必要があった。
パーリックは、研究室で明らかになったことの延長に興味はなかった。間じられていシけ放して新しい空気を入れる、それが彼の日的だ。だから、ユゼッグハウスは人の影響や思想を払拭し、週、月、年単位というように、実生活での学習を試したいと考えていた。分散学習は、自動車整備や音楽の技術を身にっけるときに。貢献をするのか?役に立つのか、それとも、取るに足らない程度のメリットしかないのか。この間いに自信を持って答えるためには、職場や新聞や友人から手に入れること。知識の習得を試す必要があった。
パーリックは、その知識に外国語を選んだ。彼が思い描いた実験を行う必要があった。何年にもわたって実験に協力し、途中で投げださない人、自分の行動について嘘の申告をしない人。
この実験の名前の由来
できれば、自分を律して勉強できる人が望ましい。結局、被験者は彼の妻と子どもたちに落ち着いた。バーリック家は心理学者一家で、妻のフィリスはセラピスト、娘のロレインとオードリーはともに大学の研究者。まさに理想的な被験者だ。「家族が心からやりたかったかどうかはわからないが、私を喜ばせたかったのだと思う。
自ら4人目の被験者となったハリーは私にそう言った。「それから数年にわたって、この実験は家族の楽しいプロジェクトとなった。悪のときは必ずこの話題が持ちあがり、実験にっいてたくさん語りあった」実験の基本ルールは、フィリス、オードリー、ロレインの3人はフランス語の単語を勉強し、ハリーはドイツ語を勉強するというものだった。ひとりにつき未知の単語を300用意し、それを各自で%個ずつ六つのリストに分け、所定のスケジュールに従って勉強する。
スケジュールはリストによって異なり、2週間おきに勉強するリスト、1カ月おきに勉強するリスト、2カ月おきに勉強するリストというふうに分かれていた。片面にフランス語(ドイツ語)、もう片面に英語が書かれた単語カードを使い、リストにある単語すべての意味を覚えるまでを1回あたりの勉強時間とした。勉強時間の大半は、単純な作業になる。退屈でしかない。時間をかけて勉強する見返りは何もない。だが、それが始まりであったことは確かだ。長期的に学習時間を分散した場合の効果を本当に探る実験が(彼らはこの実験を「パーリック家4人の研究」と呼んだ)、とうとう始まったのだ。