このオーバンでの実験は、記憶に背景情報が与える影響を研究することに、安心感と勇気を与えてくれた。それまでは、背景情報の影響は偶然のような形で明らかになっていた。実験で覚えるものと言えば、複数の単語もしくは対になる単語がほとんどで、その確認テストは自由再生方式(思いだした順に自由に書く方式)で実施されるのが一般的だった。
(天王寺の塾ではこのような実験は行わないので、ぜひ読んで見て下さい。)
たとえば、青灰色のカードに書かれた無意味な音節を覚えさせる実験を行った結果、同じ青灰色のカードを使った確認テストのほうが、赤などほかの色のカードを使った確認テストよりも数パーセント多く思いだすことができた。また、授業で教わった教師から試験問題を出題されたときのほうが、試験監督官から出題されたときよりも、学生の成績が5パーセント上がった。
記憶と背景情報については、スティーヴン・M・スミスという心理学者が非常に興味深かい。その詳細を見れば、いわゆる背景情報が思いだす手がかりになるに測定し、考えていたかを知ることができる。1985年、スミスはテキサスA&M大学で、心理学入門クラスの剥人の学生ー彼らはいの時代も心理学者のモルモットだーを集めて%の単語を覚えさせる実験を行った。学生は3グループに分けられた。
グループAは静寂のなかで、グループBはジャズ奏者ミルト・ジャクソンの「ピープル・メーク・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド」をBGMに、グループCはモーツァルトのピアノ協奏曲第%番ハ短調をBGMに単語を覚えた。音楽は学生が部屋に入ったときから流れ、それが実験に関係あることは伝えなかった。
単語を覚える時間は 10分で、その後部屋を出た。2日後、学生は予告なしで実験室に再び集められ、覚えた単語を思いだした順に書きだすテストが課された。ただし、前回とは条件が変わる学生が大半を占めた。最初の3グループをさらにグループ分けしたのだ。
ジャズが流れるなかで単語を覚えたグループは、今回もまたジャズを聞きながらテストを受けるグループ、モーツァルトを聞きながら受けるグループ、静寂のなかで受るグループに分かれ、最初にモーツァルトが流れていたグループと静寂だったグループも同様れた。つまり、前回とまったく同じ条件か、別のグループの条件のどちらかでテストがのだ。それ以外の変更は一切なかった。変更がなかったのは、テストの点数を除いての話だ。
テストの結果、ミルト・ジャクソンの演奏が流れるなかで単語を覚え、同じ音楽を聞きながらテストを受けた学生は、平均%の単語を思いだすことができた。これは、同じ条件で単語を覚えたものの、モーツァルトや静寂のなかでテストを受けた学生の平均の2倍である。同様に、モーツァルトが流れるなかで単語を覚え、同じ音楽を聞きながらテストを受けた学生も、ジャズや静寂のなかでテストを受けた学生の2倍近い単語を思いだした。
そして、この実験には意外な「オチ」がついた。単語を勉強したときと同じ条件下でテストを受けた学生のうち、静寂のなかで勉強しテストを受けた学生の点数がもっとも低かったのだ。彼らが思いだした単語数の平均は、ジャズやクラシックがBGMだった学生の約半分だった(%に対しH)。これは実に奇妙な結果で、想定外の疑問が持ちあがった。静寂には、記憶を抑制する何かがあるのだろうか?答えはノーだ。
抑制する何かがあるとすれば、ジャズをBGMに単語を覚えて静寂のなかでテストを受けた学生の点数のほうが、モーツァルトをBGMにテストを受けた学生の点数よりも悪くなっていたはずだ(モーツァルトをBGMに単語を覚え、静寂のなかでテストを受けた学生と、ジャズをBGMにテストを受けた学生の結果もそうなるはずだ)。だがそうはならなかった。
では、いったいどういうことなのか?同じ条件下でテストの点数が高くなるという現象は、復元の理論に合致する。BGMは、保存された記憶に無意識に織り込まれている。だから、同じ音楽が思いだす手がかりとなり、より多くの単語が浮かびあがってくるというわけだ。
だが、静かな部屋で勉強し、その後静かな部屋でテストを受けた学生の点数が低いことは説明がつかないスミスは、勉強した状態を復元するきっかけとなるものが「存在しない」ことが原因かもしれないと論じた。
静寂のもとで勉強しテストを受けた学生にとって、「音の不在は復元の手がかりにならない。痛みや食べものといった刺激の不在が復元のきっかけにならないのと同じだ」と記している。
つまり、静寂という環境は、BGMが流れる環境に比べて復元の材料が乏しいのだ。