エビングハウスが生みだした解明方法とは、無意味な音節の一覧を作るというものだった。そ の一覧には、母音を子音で挟んでできる単音節がいくつも含まれていた。RUR、HAL、ME K、BES、SOK、DUS、という具合だ。意味のある言葉はほとんど含まれていない。 エピングハウスは、自身が記憶するものの「一群」を見いだしたのだ。 彼は約2300の音節を作った。ありとあらゆる音節、少なくとも彼が思いつくだけの音節を リストアップしたのだ。そして、7〜8個ずつのグループに無作為に分け、グループごとに一覧 表を作った。それから、1グループずつ覚えた。音節を読みあげ、メトロノームを使って一定の 速度を保ち、確認テストで満点をとるまでに繰り返した音読の回数を記録した。
1880年にベルリン大学で講師としての職を得たが、それまでに無意味な音節の記憶に費や した時間は800時間を超えていた。彼は大学の小さなオフィスでもこの作業を続けた。小柄で 悪ひげを生やし、遠近両用メガネをかけていた彼は、廊下を歩くときも、1分につき150個の ペースで音節を唱えていた(時代や国が違っていたら、逮捕されて医療刑務所に収容されていたかも しれない)。また、休憩を挟む間隔を変えることもした。最初は覚える時間の後に%分の休憩を とったが、その後、1時間、1日、1週間と間隔を広げていった。また、覚える時間を設ける回数も変え、それにより、回数を増やすほど確認テストの点数は高くなり、忘れるスピードが遅く なることが明らかになった。
1885年、エビングハウスは自らの実験結果を『記憶についてー実験心理学への貢献」と いう一冊の本にまとめ、音節を覚えた後に忘れる割合を計算するシンプルな数式を書き記した。 その方程式は見た日には大したことはないが、当時学問として確立しつつあった心理学という分 野において、厳密な実験にもとづいて発表された初の原則である。そしてこれこそが、彼がm年 前のパリの古書店で見つけると心に決めたものだった。
エビングハウスは、自分の方程式を見つけたのだ(ほかの科学者はグラフと呼んだ)。 彼は世界を変えたわけではない。しかし、学習に対する研究に着手したことは紛れもない事実 だ。「連想を研究する手段として無意味な音節を用いたことは、この時代の心理学において、ア リストテレスの時代以降もっとも注目に値する進展を意味すると言っても過言ではない」と、イギリス人科学者のエドワード・ティチェナーは一世代後に記している。エビングハウスの忘却曲線は多くの研究者の心をとらえ、忘れ去られることはな 14年、アメリカの教育研究の権威であるエドワード・ソーンダイクは、エビン曲線を「学習の法則」に変えた。
ソーンダイクはそれを「不使用の法則」と名づけた。使い続けなければ記憶から消え去ると断言した。
この法則は正しいと思われていた。少なくとも経験に合致するのは確かで、いまなおこの法を学習の定義として思い浮かべる人が多い。