忘却にはフィルター機能があるが、忘却のメリットはそれ だけではない。
私たちは、勝手に記憶がなくなってしまうことを不満に思う。しかし、そうしたごく一般的な忘却も、学習の定着に一役買ってくれる。私はこれを、忘却が持つ「筋肉増強の要 素」としてとらえている。一度学習したことに戻ってより深く学ほうとするとき、脳はいくらかの情報を「遮断」しないといけないはずだ。多少何かを忘れないと、勉強量を増やしても何も得られない。つまり、トレーニングで筋肉が増えるように、忘れることで学ぶ量が増えるのだ。
このシステムは完壁とは程遠い。私たちは、瞬時にさまざまな事実を完璧に思いだすことができる。韓国の首都はソウル、3の二乗は9、『ハリー・ポッター』シリーズの作者はJ・K・ロ ーリング、という具合だ。しかし、複雑なことについては、思いだすたびに内容が少し変わる。
これは忘却のフィルターが、無関係な多くの情報とともに、関係のある情報もいくらか遮断してしまうことが一因にある。また、以前思いだしたときは遮断された(忘れられた)詳細が、次に思いだそうとしたときに現れることもよくある。こうした記憶の変化は、子どもの頃の思い出話をおもしろおかしく語ろうとするときに顕著に現れる。親の車を拝借したときの話、初めて訪れた都会の地下鉄で迷子になった話。
同じエピソードもさまざまな場面で繰り返し話していれば、何が真実で何がそうでないかの区別がつかなくなってくる。何も、記憶は曖味な事実とでまかせの集まりにすぎないと言いたいのではない。どんな記憶も、思いだそうとするたびに脳がアクセスする詳細は必ず変わるので、記憶の内容も変わってしまうということが言いたいのだ。こうした考え方やそれに関係するアイデアを説明する新しい理論を紹介しよう。
それは以前の理論と区別するために、「不使用の新理論」と呼ばれている。以前の理論はただ単に、記憶は使用されなければいずれ脳から抹消されるという時代遅れのものだ。新理論ではもちろん情報が更新されているが、それだけにとどまらない。理論を徹底的に見直し、忘却は学習の敵ではなく最高の友として認識を改めている。この理論は、不使用の新理論というよりも、「覚えるために忘れる理論」と呼んだほうがいいかもしれない。そのほうが、理論の内容や基本的な意見、
勇気づけられる考え方がよく伝わる。たとえばこの理論では、学んだばかりの何かをすっかり忘れたからといって、それが未知のこと であればなおさら、怠情である、注意力が欠けている、性格的に問題がある、といったことの証ではないと言っている。それどころか、脳が正常に機能している証拠だという。
のような知的能力は、私たちにとって不可欠なものであり、意識しなくても自動的に使 われるため、とても身近に感じる。それなのに、私たちはなぜか、そういう能力を低く評価している。
だからこそ、忘却の働きについて考えてみようと思う。
メモ
忘れるということに恐怖心を抱いて、何かに追い立てられるように忘れることを拒絶する必要はないのかもしれませんね。大学受験を控えている天王寺の塾に通っている皆さんも、「忘れる」ことを少し楽観的に捉えてみましょう。