これにより、研究者たちにはさらに大きな謎が残された。絵を思いだす能力は改善するのに、単語を思いだす能力が改善しないのはなぜなのか
科学者たちは、その答えについて考えをめぐらせた。記憶を探しだすのにかかる時間が関係しているのではないか。それとも、次のテストまでの時間が長くなるほど緊張がほどけ、疲労が和らぐのではないか。だが結局、確固とした証拠が十分に揃い、バラードが提唱した効力をはじめとする記憶の奇妙な性質を論理立てて説明するようになるのは、1980年代に入ってからのことだった。そのときに登場した理論は、脳の働きを描く壮大な青写真というよりも、調査にもとっいて生まれた原則と言える。それは、エビングハウスとバラードの考えだけでなく、彼らに反対しているように思えるアイデアや性質の多くを包括する理論であった。
その理論を完成に導き、誰よりもわかりやすくその特徴を示した科学者が、先に紹介したUCLAのロバート・ビョ「クと、同じくUCLAに勤務する妻のエリザベス・リゴン・ビョークだ。不使用の新理論(「覚えるために*れる理論」は、ふたりの子どもと言っても差し支えない。
この理論の第一の原則は、「どんな記憶にも、保存と検索という二つの力がある」だ。
「保存の力」は、学んだことを覚えている尺度だと思えばいい。この力は、
まっていき、勉強したことを使うことで力が研ぎ澄まされていく。九九の表かのときに繰り返し頭に叩き込み、生涯にわたって使う。使う場面は、シップの計算、小学4年生の宿題の手伝いまでさまざまで、この表の保存の力は大
ピョークの理論によると、保存の力は増えることはあっても減ることは対にない。見聞きしたことや自分の発言のすべてが、死ぬまで永遠に保存されるという意味で。することの9パーセント以上が、あっという間に消え去ってしまう。
最初は信じがたいと思うかもしれない。私たちが日どれだけの量の情報を吸収し、その大半がありふれたものであることを思えば当然だろう。だが、第1章で述べた、「人という生物には記憶を焼きつけるスペースがある」という話を思いだしてほしい。
ありふれたものすべて、意味のない誰細一つひとつがすべて記憶にあると証明するのだ。
とはいえ、脳が驚くほどどうでもよい情報を送ってくることがときどきある。誰もが経験したことがあると思うが、私の例を一つ紹介しよう。この本の調べものをするときに、大学の図書館を利用することがあった。伝統ある学校らしい建物に入り、古い本が大量に並ぶ地下1階と地下2階に行くと、遺跡を発掘しているような感覚になる。古い本のカビっほい匂いをかいだせいか、ある日の午後、コロンビア大学の図書館を訪れていた私は、自分が通っていた大学の図書館で1カ月間だけ働いた1982年に連れ戻された。
コロンビア大学図書館の人気のない一角で古い本を探していると、息苦しさを感じて自分がどこにいるかわからなくなった。そのときに、頭のなかにある名前が浮かんだ。ラリー・C(苗字は頭文字しか思いだせなかった)。図書館で働いていたときの私の上司の名前だ(と思う)。彼には度しか会ったことがない。感じのいい人だったことは覚えているが、名前まで覚えていたとは自分でも意外だった。
とはいえ、いざ名前が出ると、彼がミーティングから歩き去る姿や、デッキシューズのかかとが向かいあうようにすり減っている様子まで思いだしていた。1回のミーティング。彼が履いていた靴。どちらもまったく意味はない。しかし、私はその彼の名前を知っていて、彼が歩き去る姿の印象を記憶していたのだ。いったい、なぜそんな情報を保存しようとするのか?
それは、人生のある時点では有益な情報だったからだ。そして、覚えるために忘れる理論はこう言っている。「一度保存された情報は、永遠にそこにある」つまり、脳内の記憶は、徐々に消え去ってなくなるという意味で「失われる」ことは絶対にないのだ。失われるのではなく、一時的に引きだすことができないだけで、記憶の「検索する力」いかゼロに近い状態だということだ。
記憶のもう一つの力である「検索する力」は、情報の塊をいかに楽に思いだせるかの尺度だと思えばいい。これもやはり、学習して使うことで力が増大する。ただし、「強化」をしないと、検索する力はすぐに衰えてしまう。また、その容量は、保存する力に比べて小さい。ヒントや思いだすきっかけとなる何かから、関係する情報を引きだすことはできるが、どんなときもその数には限りがある。
たとえば、バスのなかでアヒルの鳴き声の着信音が聞こえたとしよう。そうすると、同じ着信音にしている友人の名前や、電話をかけないといい相手のことが頭に思い浮かぶかもしれない。あるいは、家族で飼っていた犬がお腹から湖に景や、子どものときに初めて着た、フードにアヒルのくちばしがついた真っ黄色のレインコートが浮かぶかもしれない。
アヒルに関連する記憶は何千とあり、記憶が形成されたときは何かしらの意味があったが、そのほとんどは一切検索に引っかからない。保存の力に比べると、検索の力は不安定だ。強くなるのも早いが、弱くなるのも早い。