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【塾コラム】実験で明らかになった 「自己テスト」の効果

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Stressed college student  for exam in classroom

別の記事でも紹介した「自己テスト」の効果についてここでは書いていきたい。

2006年、カーピックとローディガーは、120人の大学生に科学に関係する2種類の文章を勉強させた。

太陽に関する文章と、ラッコに関する文章だ。学生たちは、どちらか一方の文章を7分ずつ2回勉強した。もう一方の文章については、7分間勉強し、次の7分で思いだせるだけの文章を書きだした(先ほどオノランの文章の実験でやった「テスト」と同じだ)。要するに、太陽かラッコのどちらかの文章は2回の学習時間の2回とも勉強し、残ったもう一方は、2回の学習時間のうち1回しか勉強せず、もう1回の時間で思いだせるだけ書くテストを行ったのだ。

カーピックとローディガーは学生を3グループに分け、グループ1の学生にはそれぞれの学習時間の5分後、グループ2には学習時間の2日後、グループ3には学習時間の1週間後に確認ニストを実施した。結果は次ページのグラフのように一目瞭然だった。この実験で特筆すべきことが二つある。

この実験を行う上で重要なポイント2つ

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一つは、カーピックとローディガーは確認テストの準備にかける勉強時間を平等にしたこと。両方の文章を勉強する時間は、どの学生も等しく同じだった。もう一つは、1週間後の確認テストという大事なテストで、「自己テスト」が「勉強」を上回ったことだ。

つまり、同じ準備でも、テストと勉強はイコールではないということだ。実際、自分で自分をテストすることのほうが勉強よりも効果が高い。それも、本番の試験までの期間が長ければ長いほど、その差は顕著になる。「誰も見たことのない何かを見つけたのかというと、そうではない」とローディガーは私に言った。

それをすでに見つけていた心理学者は何人かいる。なかでも有名なのが井沢千鶴子で、彼女は1960年代から%年代にかけて、スタンフォード大学で同様の効果を実証している。「当時から自己テストの効果は知られていたし、そに期待もされていた。我々の実験に関ったのは、以前とは異なる種類のもの(紹介した実験では別コラムのもの)を覚えさせたからだと思う。我々は実際に
学校や塾の授業に適用できること、そしてその効果の高さを実証した。その瞬間この研究は羽ばたき始めたのだ」

ローディガーは実験と理論の両方で学習の科学に多大な貢献をしているが、それに伴いこの分野における過去の研究を紐解く役割も果たしている。

自己テストの効果を試すテスト

Test word on keyboard
2006年に刊行された総説誌で、彼はカービックとともに1世紀分相当の実験を分析した。そしてそのなかで、記憶にとどめるためのありとあらゆる手法(学習間隔をあける、繰り返し学習する、学習環境を変えるなど)
最善のテスト対策は、自分で自分をテストすることを分析した結果、自己テストの効果については以前から知られていたが、忘却のスピードを遅らせる強力な「天敵」とみなされてきたと示した。

結局、どんな種類の学習も、それを測定するためには何らかのテストを実施しないといけない。とはいえ、テストのことを体育の授業での腕立て伏せ大会と同じだと思っていては、大会に参加すること自体が参加者の記憶という筋肉の強化になると気づかない。「テストの実施」という言葉は、学習の科学とは関係のない形で使われることが多い。

教育の専門家たちは何十年にもわたって、テストの実施を標準化することの価値について議論を続けている。また、2001年にジョージ・W・ブッシュ大統領によって導入された、テストの活用増加という改革が議論をさらに加熱させた。教師の多くは「テストのための授業」をしなければならないことに不満を抱いている。

それでは、担当する教科を十分に探求する時間が得られないからだ。ほかにも、テストでは創造的思考に一切目を向けないので、学習現場の尺度として不完全だという声もある。

こうした議論は、カーピックとローディガーが行っているような研究とは無関係である。だが、このふたりやほかの科学者たちの発見をカリキュラムの一環として授業に正式採用することは、実質避けられてきた。「教師が『テストの実施』という言葉を聞くと、その響きが持つ否定的な意味合いや負担から、『これ以上テストは必要ない。むしろ減らす必要がある』と言いだす」UCLAの心理学者ロバート・ビョークは私にそう話した。

こうした抵抗感を和らげようと、テストの実施を「検索の練習」と呼ぶ研究者が現れ始めた。この呼び方は理論的にも筋が通っている。学ぶべきことを万んだあとは、自分で自分にテストするほうが続けて勉強するよりも効果が高いというなら、それには理由があるはずだ。

理由の一つは、ビョークの「望ましい困難」の原理から直接得ることができる。勉強したことのある文章、名称、公式、技などを検索する脳の働きは、見たことのある情報をもう一度見たり、復習したりする働きとは異なり、もっと複雑だ。その複雑な労力が、脳に保存される内容の質や韵検索の力を深めるのだ。

事実や技術をより深く知識として習得するのは、単に復習するのではなく、自らそれを脳内で検索するからである。ローデイガーの考えはその先を行く。必要な情報を検索してうまく引きだすと、その情報は以前とは違う形の記憶として再保存される、と彼は主張する。保存の力が上昇するだけでなく、記憶自体も新しくなり、これまでとは違うつながりが生まれる。検索のときに一緒に引きだされた、最関連性のある新たな情報とつながったということだ。

それにより、記憶を保持している細胞のネるットワーク自体も変わる。要するに、記憶を活用すると、自分で気づかないところで記憶が変わるのだ。

そして、こうした動きから、テストの実施に関する調査は奇妙な方向へと進んでいく。

今学校や塾で行われているテストにはこのような歴史があったんです。

続きは次回のコラムで。

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