教科書を見て、覚えるときに活かせるパターン、または数字や文字の分類方法がないか探してみてほしい。降参だろうか?降参して当然だ。覚えやすくなるパターンは一切存在しない。そもそもこの表は、そういうパターンが存在しないように作られたものなのだ。できるだけ覚えづらい、無作為な数字と文字の羅列にすることが作成者の意図だった。1920年代の中頃、モスクワ大学の神経心理学者アレクサンドル・ルリヤは、記憶に研究するなかでソロモン・シェレシェフスキーという新聞記者に出会った。シェエは地域紙の新聞記者として働いていたが、彼は編集長が疑念を抱くような態度をとっていた。そベ
ント、人、記事になりそうな話題など)を伝えていた。記者はみな凡帳面にメモをとっていたが、シェレシェフスキーだけは別で、メモ用紙すら持ってこない。編集長はそれを怠慢だと思エレシエフスキーを問い詰めた。
メモをとる必要がないのです、というのがシェレシェフスキーの返答だった。何でも覚えてしまうと彼は言う。そして、その朝に言われたことをすべて復唱した。間違いは一つもない。前日の朝に言われたことも、その前でも覚えてしまうのです」という言葉どおりだ。彼の類いまれな能力に驚いた編集長は、ルリャに会いに行くよう彼に勧めた。
そうして、ふたりの有名な共同研究が始まった。その後Q年にわたって、ルリヤはシェレシェフスキーにさまざまな実験を繰り返し試し(プライバシー保護のため、論文のなかでは彼のことを「S」と呼んだ)、最終的には、量も正確さも最上級の記憶の全容を探究することとなった。Sの記憶の特徴は、説明できる範疇を超えているようだった。彼は無作為
にした。
確かに「何に並んだ数字の表をB分で覚え、1週間後、1カ月後、いや、m年後になってもその表を思いだすことができたのだ。覚える対象が、単語、詩、短編になってもそれは変わらず、母国語のロシア語ではもちろん、イタリア語など彼がまったく知らない外国語でも覚えることができた。
ルリャはSの記憶のさま野清訳、岩波現代文庫)に詳しく描かれていて、Sには「共感覚」と呼ばれる能力があったことが明らかにされている。これは、複数の種類の知覚で恐ろしく鮮明に感じとる能力を表す。たとえば、音を聞いたら形や色を感じとり、文字を見れば味や匂いを感じとるという具合だ。
「数字を見ても映像が浮かぶ」とSはルリヤに言った。「たとえば数字の1。これは、誇り高くがっしりとした体つきの男性。数字の2は気高い女性で、3は塞ぎ込んだ男性。
太った女性と日ひげをカールさせた男性が浮かびます。
数字に似っかわしくない手がかりと一緒に数の一つひとつを記憶していた。その手がかりには、心のなかで生まれたイメージや、それを記憶したときの環境に関係すること(ルリャの声の調子など)も含まれる。
Sは、単語も数字も声も完璧に覚えているため、同じ場所で二つのことが同時に起きたときなどはとくに、一つのことを思いだそうとしても、もう一つのことまで思いだしてしまうことがよくあった。だから、関係する記憶を遮断する努力をする必要があった。「何かを書きとめれば、それを覚えておく必要がないということになります。ですから、電話番号や会った人の苗字など、ちょっとしたことを書きとめるようになりました。でも、どうにもなりませんでした。書きとめたこともずっと頭のなかで見え続けるのです」と彼はルリャに話した。sには、一般に備わっている忘却のフィルターがなく、そのせいで苛立ちを感じることがよくあった。
1939年5月、ルリャはSに数字とアルファベットの行列を覚えさせる実験を行った。Sはその行列を3分間じっくりと見た。短い休憩を挟んでテストをすると、彼は一切間違わずに暗唱した。行から行、列から列、あるいは斜めでも暗唱できた。数カ月後、ルリヤはこの行列表の確認テストを、Sに事前に知らせず実施した。
「違いは唯一つ。最初の実験で覚えたときの状況全体を『よみがえらせる』ための時間が、2回日のほうが多く必要になったということだけだ」とルリャは書いている。「表を覚えた部屋を『見る』ため、そのときの私の声を『聞く』ため、黒板を見ていた彼自身の姿を「再現」するための時間が必要だった」。sは、5月m日に表を覚えたときの状況を再現して表を思いだしたのだ。
Sの能力は驚異的で、彼が思いだす方法は常人にはとても真似できない。覚えたときの状況をほほそっくりよみがえらせることはできないし、仮にできたとしても、表を正確に最初の状態に戻すことは不可能だ。私たちの思考は、Sと同じようにはいかない。とはいえ、複数の知覚(見たこと、聞いたこと、感じたこと)を使うという彼のやり方は、背景情報の活用の仕方の参考になる。特定の記憶に複数の知覚を関連づけることなら容易にできる。単純に、覚えるものによって覚える場所を変えればいい。