今回も記憶に関するトピックス。天王寺の塾が思う記憶に関する思いを綴りました。
保存と検索について理解するには、これまで会ったことのある人が(最後に会ったときの年齢で)一堂に会する大規模なパーティを思い浮かべるのも一つの手だ。そこには、母親と父親、小学1年のときの担任、隣に引っ越してきたばかりの隣人、大学2年のときに通った自動車教習所の教官など、ありとあらゆる人が集まっている。
検索では、人の名前が浮かぶスピードが重要になる。一方、保存では、その人との親密さが重要になる。母親と父親は、忘れようがない(検索の力も高く、保存の力も高い)。小学1年のときの担任については、名前はすぐに出てこないが(検索の力は低い)、ドアのそばに立っているのが担任だとすぐにわかる(保存の力は高い)。それとは対照的に、新たにできた隣人は、「ジャステインとマリアです」と自己紹介されたばかりで名前はすぐにわかるが(検索の力は高い)、あまり詳しくは知らない(保存の力は低い)。
翌朝になれば、彼らの名前を思いだすのは大変だろう。自動車教習所の教官の場合は、名前もすぐに出てこなければ、大勢のなかから彼を見つけだすのも簡単ではないだろう。教習所に通ったのは、たった2カ月なのだから(検索の力も保存の力も低い)。
一人ひとりを見つけて名前を確認するという行為を続けると、保存と検索の両方の力が増大する。小学1年のときの担任は、向こうが名乗ってくれれば、検索の力は格段に高くなる。これは、忘却の受動的な側面である、時間がたつにつれて検索の力が弱くなることが原因だ。「覚えるために忘れる理論」によると、検索の力が下がることで、忘れていた事実や記憶を再び見つけたときに、より深い学習を促進するという。ここでまた、筋肉の増強になぞらえてみよう。
麗華をすると筋肉の組織が破壊され、1日休息をとった後で再び懸垂を行うことで、より強い筋肉が形成される。これと同じなのだ。それだけではない。記憶の検索が困難になるほど、その後の検索と保存の力(学習の力)が高くなる。ビョーク夫妻はこの原理を「望ましい困難」と呼ぶ。その重要性は、この先読み進めていくうちにわかってもらえると思う。
自動車教習所の教官の名前はすぐには思いだせないが、一度思いだせば、思いだす前よりもずっと親しみを感じ、知っているということすら忘れていたこと、たとえば、教官の名前やニックネームだけでなく、顔をゆがめる笑い方や、彼の口癖などを思いだすこともある。脳がこのシステムを発達させたのにはちゃんとした理由がある、とビョーク夫妻は主張する。
類が遊牧していた時代、脳は絶えず頭のなかの地図をまっさらにして、天候、地形、捕食者の省化に適応していた。検索の力が進化して素早く情報を更新できるようになり、もっとも関係の深い情報がいつでも取りだせるようになった。検索の力はその日を生きるためのものだ。一方、存の力が進化したことで、必要に応じて決まったやり方をすぐに学び直せるようになった。
季は移り変わっても、繰り返し巡る。天候や地形も同じだ。保存の力があれば、未来を計画することができる。気まぐれな「検索の力」と着実な「保存の力」という、ウサギとカメのようなこの組み合わせは、現代社会で生き残るためにもやはり重要な役割を果たす。たとえば、北米の家庭で育つ子どもは、教師や親と話すときはきちんと日を見て話しなさいと教わるが、日本の家庭で育つ子どもは反対に、日上の人と話すときは相手の日を見てはいけないと教わる。文化の異なる国に移ってうまくやっていくには、母国の習慣を遮断するか忘れるかして、新しい習慣を素早く吸収しないといけない。母国の習慣を忘れようとしても難しい。
なぜなら、保存の力が高いからだ。だが、それらを遮断して新しい文化になじもうとすれば、検索の力が低くなる。それができるかどうかが生死にかかわることもある。仮にオーストラリアの人がアメリカに引っ越すとなれば、道路の左側ではなく右側を車で走る習慣を身につけないといけない。運転中のこれまでの感覚が、ほぼすべて逆になるのだ。
ミスは許されない。メルボルンのことを思い浮かべて一度でも運転すれば、溝で目を覚ますことになるかもしれない。この場合もやはり、記憶はとになる。それだけではない。3年後にホームシックにかかってオーストラリアに戻ることになれば、再び左側通行に切り替える必要が出てくる。ただし、この変更は最初のときよりもずっと簡単にできる。
昔の感覚はまだ脳内に残っているし、それらの保存の力は高いままだからだ。老犬が昔の芸を取り戻すのは早い。ビヨークはこのような記憶のシステムについてこう記している。「古くなった記憶を上書き、または消去するシステムと比較すると、引きだすことはできなくなるが保存されたままでいるシステムになメリットがある。
引きだせなくなるおかげで、それらの記憶が最新の情報や手順の妨げになることはない。そして、記憶にとどまっているおかげで、少なくとも特定の状況を思いだすことができる」
このように、忘れることは、新たなスキルの習得にとって、そして、古いスキルの保存と取り戻しにとって不可欠なのだ。