今回も大学受験・普段の勉強でも大切な「暗記」に関わる記憶についてのお話。
以前お話しした「へンリー・モレゾン」の話は、前の話で終わりではない。
ミルナーの教え子のひとりだったスザンヌ・コーキンが、MIT(マサチューセッツ工科大学)でモレゾンの協力を得て研究を続けた。
40年以上にわたってさまざまな実験を行い、彼女はモレゾンに手術前の記憶がたくさんあることを証明した。
彼は、戦争のこと、フランクリン・ルーズベルトのこと、幼少期に住んでいた家の間取りなどを思いだすことができた。「要点記憶と我々は呼んでいます」とコーキン博士は私に言った。
「記憶はあっても、それを時系列に並べることはできませんでした。
つまり、ストーリーとして語ることはできなかったのです」
また別のパターンも
モレゾンと同じ部位に損傷を負ったほかの人に関する研究でも、損傷を負う前と負った後でよく似たパターンが現れた。
海馬の機能がないと、人は新しい顕在記憶を形成できないのだ。
人名や物の名称、事実、顔、体験に関する記憶は実質すべて、脳に損傷を負う前に覚えたものだ。
つまり、そういう記憶は一度形成されると、海馬以外のどこかに保存されるということだ。
それが可能な部位は、脳の表面を薄く覆う「新皮質」以外には考えられない。
新皮質には人間の顕在意識が宿る。
複雑な層を成すこの組織は、場所によって機能が異なる。
視覚をつかさどる場所は後部で、運動をつかさどる場所は耳の近くになる。
左側は言語の解釈を助ける場所で、そのすぐそばの場所は、話す能力と書く能力をつかさどる。
この皮質(要は脳の「てっぺん」)でしか、エピソード記憶の内容を豊かなものにつくり直すことも、
「オハイオ」という言葉や数字の12に関連する事象を仕分けすることもできない。
高校生活初日に関するニューロンのネットワークも(この日に関連するものすべてなので、ネットワークはたくさんある)、
全部ではなくてもほとんどがこの部分に含まれているはずだ。
高校時代の記憶
私の大学受験のことなどあまり考えていなかった高校初日の記憶は、視覚情報(赤毛、メガネ、茶色っぽい壁)と聴覚情報(廊下の喧騒、ロッカーを閉める音、教師の声)が
圧倒的に多いので、このネットワークは大量の視覚野と聴覚野のニューロンで構成されている。
食堂の匂いや背負っているリュックの重みの記憶がある場合は、それらをつかさどる皮質の部位にある細胞が大量に含まれていると言える。
記憶が宿っている場所は、ある程度は特定することができる。
基本的には新皮質のどこかになるが、正確な位置まではわからない。
脳が特定の記憶を見つけてそれに命を吹き込むスピードは驚異的だ。
ほとんどの人は、一瞬にしてそのときの感情やさまざまな詳細を思いだすことができる。
なぜそんなことができるのかを説明したくても難しい。どのようにしてそれが起こるかは誰にもわからない。
私は、思いだそうとした瞬間に脳が生みだすものは、脳が引き起こす最大のイリュージョンだと思っている。
大学受験のために勉強しているだけならこんな神秘的なことに気づくことはありませんよね。
たまにはこういったことに目を向けてみると気分転換になるかもしれません。
場面ごとに保存されている記憶が、ニューロンのスイッチひとつで、取りだすことも再びしまうことも可能になるのだから。
事実は奇なり、とはよく言ったもので、脳の事実もまた奇なりであり、そして想像以上にありがたいものなのだ。