学習時間の分散が学習にこれほど大きく影響する理由は、間隔の長さによって、作用する要因が変わるらしい。
これは天王寺にある塾でも理解している講師が少ないほど世の中には浸透していませんが。事実です。
秒単位や分単位間隔)で復習する場合は、短いあいだに何度も同じ情報が入ってくることで、脳がその情報に対する興味を徐々に失っていくことが考えられる。ジェームズ・モンローが第5代アメリカ大統領だという事実を知って保存したばかりのところに、同じ情報が2回、3回と繰り返されれば、脳はしだいに関心を払わなくなる。日単位、週単位といった中くらいの間隔になると、別の要素がかかわってくる可能性がある。
覚えるためには、一度忘れる
「覚えるために忘れる理論」を思いだしてほしい。忘却は、二つの形で学習を助けてくれる。つは、重複する情報や矛盾する情報をふるいにかけるという能動的な役割。もう一つは、運動して筋肉が増えるように、忘却によって情報を検索する機会が増え、記憶のより深い定着を促すという受動的な役割だ。第2章では、新たな隣人と初めて出会ったときの例を紹介した(「ジャスティンとマリアです」)。名前を聞いた直後は、検索の力が高いのですぐに思いだせる。だが保存の力は低いため、翌日の朝になると、口先まで出かかっているのに思いだせない。
少なくとも数日は、堀の向こうから「ジャスティン!」「マリア!」と呼ぶ声が聞こえないと思いだせない。要するに、名前を再度聞くことで検索(「そうだった、お隣さんは、ジャスティン・ティンバーレイクのジャスティンとマリア・シャラポワのマリアだった」)という脳内活動が誘発され、以前よりも検索の力が高まるというわけだ。筋力トレーニングに1日の中休みを挟めば、その間に筋肉の強度が増すのと同じだ。時間を分散した学習の多くは、たとえば、隣人の名前のようなケースも、第3章で述べたよう
第4章一度に勉強するより分けたほうが効果的
勉強時間を分散するな背景情報の一つになるというとらえ方もできる。隣人の名前を初めて知ったのはパーティの席った。そのときは、友人に囲まれておしゃべりをしていて、手にはワインの入ったグラスを持っていた。2回日は、堀の向こうで彼らが名前を呼びあうのを聞いた。
これにより、彼らの名前が組み込まれている状況は、一つだけでなく二つになった。これと同じことが、新たに学んだ単
報は当然取るに足らないものとなるが)。
無意識に覚えていく
いま述べた現象はほぼ無意識のうちに起こる。意識しないところで起こるので、自分では気づない。1カ月以上間隔をあけた場合、それも3回以上学習時間を設けると、間隔をあけることメリットが明らかになるので気づくようになる。バーリック家の4人は、学習間隔が長くなるにつれ、自分にとって覚えにくい単語がわかるようになったという。
「次に学習するまでの期間が長くなれば、忘れる単語は増えるが、自分の弱点に気づいて修正できる」とハリーは私に言った。「それぞれの単語について、どの手がかり、どの関連性、どのヒントが思いだすきっかけとして機能するのかがわかる。それらがきっかけとして機能しなくなれば、新たに思いだすきっかけを見つける」
たとえば、専門用語が登場する難しい題材(新しいソフトウェア、保険の詳細、精神疾患の遺伝的特徴など)を一から勉強するとき、1時間勉強して翌日に復習し、いくつかの専門用語を覚えるといった勉強の仕方をすることはできる。だが、それでは実質何もしていないのと同じだ。
理念は馴染みのないものばかりなものに分類しても、どこに保存していいかもわからない。だから私は、そういうものと初めて対面するときざっと日を通すだけになった。初対面の人に挨拶を交わすようなつもりで、30分程度しか時間をかけない。2回日になれば(このときも10分)、
もっと内容に入り込めるとわかっているからだ。3回日(これもまた10分)は言うまでもない。こうすれば、それ以外の時間は一切使わなくても、多くを覚えていられるようになる。1990年代に入り、研究室での長い培養期間が終わると、分散効果はひとり立ちして成長し始めた。そしてその過程で、本当に筋肉がつくことが明らかになった。学校の授業で取りいれた報告が次々に押し寄せた。間隔をあけて復習したら、九九のテスト、科学のテスト、単語テストの点数がよくなったというものだ。
実際のところ、学習手法のなかで、時間を分散させることほど、すぐさま大幅かっ確実に学習
を改善できるものはない。それなのに、「間隔のあけ方」を教えてくれるマニュァルは、こきになってもまだ存在しなかった。復習するタイミングについても同じだ。試験の日程が決まっている場合、どのくらい勉強しない時間を設けるのが最適なのか?どのように計算すればいいのか?はたして、計算式は存在するのか?
一度に勉強するより分けたほうが効果的に塾での勉強時間を分散する。