その他のコラム

【塾コラム】知らないことをテストする 「事前テスト」

テスト
この記事は少し気楽に読んでほしいと思います。天王寺で働く塾講師として知識を増やす方法を書いています。

何かの手違いで、新学期の初日に期末試験の問題を手に入れてしまったらどうする?教師の誤送信により、あなたのメールボックスに問題が送られてきたと想像してみてほしい。問題が手元にあると、どんな影響が生まれるだろう?期末試験に向けた勉強の助けとなるだろうか?

もちろん、助けとなるだろう。問題を注意深く読めば、何に気を配り、何をノートにとればいいのかがわかる。授業中は、試験問題に関係することを教師が口にするたびに耳が反応する。凡帳面な性格であれば、期末試験までに全問題の正解を暗記してしまう。そうして期末試験の当日、誰よりも先に回答を終え、Aの成績を確信しながら悠々と教室を出る。

当然、これは不正行為である。では、新学期の初日、期末試験とまったく同じ問題ではないが、その学期で習うことを包括的網羅した総合テストを受けた場合はどうか?いい点数がとれないのは確かだろう。1問も理できないかもしれない。とはいえ、先ほど紹介したテストの実施のことを思えば、テストを受るという経験によって、翌日からの授業に対する姿勢が変わる可能性がある。いう考えから、テストを実施する効果として、新たに「事前テストの実施」が提唱される。

効率よく記憶する方法!

効率よく記憶
さまざまな実験を通じてあることに気がよっては、記憶を検索して失敗しても(つまりは答えを間違っても)、単なる失敗で。失敗どころか、検索を試みたことによって考え方に変化が生じ、問題に含まれる情報が保存される。テストの種類にもよるが、選択形式の場合はとくに、答えを間違うことが学習となる。この学習効果は、回答後すぐに正解を教わったときにとくに顕著となる。要するに、「間違った推測」をすることで、次のテストでその問題もしくはそれに関係する問題に正解する確率が増すのだ。

ずいぶん漠然とした話だと思うかもしれない。自分の知らないことをいきなりテストとして出題され、間違った回答をするーこう言われると、有効な学習手法というよりも、やる気を失いがいちばんだ。試すとは、自分自身にテストするという意味だ。テストの内容は、あなたがよく知らないことであれば何でもいいし、短いテストでかまわない。私はアフリカ諸国の首都をよく知らないので、それを例に話を進めよう。アフリカの国を選び、友人に5択形式でそれらの首都を答える問題を作ってもらう。

1問につき、考える時間は  10秒。1問解くたびに、友人に正解を教えてもらう。手順はこれでわかったと思う。それでは、携帯電話やノートパソコンは脇に置いてやってみよう。問題の例をいくつかあげておく。

記憶のテストの例題

Q.ボツワナの首都は?
(友人「正解はハボローネ」)

Q.ガーナの首都は?
●ウアンボ
●ベニン
●アクラ
●クマシ
(友人「正解はアクラ」)

Q.レソトの首都は?
●ルサカ
●ジュバ
●マセル
●コトヌー
●ンジャメナ
(友人「正解はマセル」)

アフリカ

こういう問題を10問作るのだ。そして、テストをして答えを想像してみよう。あなたも私と同じでアフリカ諸国の首都に詳しくないなら、ほとんどの答えを間違ったはずだ。このテストを受けたことで、10の首都に関する知識は向上したのか?もちろんだ。何しろ、問題に答えるたびに、友人から答えを教えてもらったのだ。知識が向上して当然だ。
実験はこれで終わりではない。これは、事前にテストを実施する実験の第1段階にすぎない。
第2段階は、従来の勉強の仕方で勉強する。この段階に進むため、あまりよく知らない国をさらにもう10選ぶ。そして、首都とあわせて書きだした表を作り、それを覚える。ナイジェリアーア
アプジャ、エリトリアーアスマラ、ガンビアーバンジュール、という具合だ。

覚えるのにかける時間は、5択問題を解いた時間と同じにする。
これで、アフリカの国の首都を覚えたことになる。最初の半分は、事前に勉強することなく5択の問題に答えるという形で勉強した。

そして残りの半分は、見て覚えるという昔ながらの方法で勉強した。次は、最初の10国と残りの国の知識の比較だ。
翌日になったら、すべての首都を5択問題でテストする。テストを終えたら、最初の半分と残りの半分で結果を比較する。ほとんどの人は、最初に覚えた国の問題で、高い点数をとる。

自分で答えを推測した後に正解を聞くやり方で覚えたほうだ。心理学用語を使った言い方をするなら、「検索の失敗が学習を促進し、その後のテストでの検索で成功する確率を高めた」ということだ。

シンプルな言い方をするなら、「答えを推測したおかげで、勉強して覚えるときよりも覚えたいという意識が強く働き、正しい答えがより深く脳に刻み込まれた」となる。さらにシンプルに表すなら、事前テストを実施することで、いつもの勉強とは違う形で情報が脳に伝わったと言える。

【塾コラム】実験で明らかになった 「自己テスト」の効果

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別の記事でも紹介した「自己テスト」の効果についてここでは書いていきたい。

2006年、カーピックとローディガーは、120人の大学生に科学に関係する2種類の文章を勉強させた。

太陽に関する文章と、ラッコに関する文章だ。学生たちは、どちらか一方の文章を7分ずつ2回勉強した。もう一方の文章については、7分間勉強し、次の7分で思いだせるだけの文章を書きだした(先ほどオノランの文章の実験でやった「テスト」と同じだ)。要するに、太陽かラッコのどちらかの文章は2回の学習時間の2回とも勉強し、残ったもう一方は、2回の学習時間のうち1回しか勉強せず、もう1回の時間で思いだせるだけ書くテストを行ったのだ。

カーピックとローディガーは学生を3グループに分け、グループ1の学生にはそれぞれの学習時間の5分後、グループ2には学習時間の2日後、グループ3には学習時間の1週間後に確認ニストを実施した。結果は次ページのグラフのように一目瞭然だった。この実験で特筆すべきことが二つある。

この実験を行う上で重要なポイント2つ

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一つは、カーピックとローディガーは確認テストの準備にかける勉強時間を平等にしたこと。両方の文章を勉強する時間は、どの学生も等しく同じだった。もう一つは、1週間後の確認テストという大事なテストで、「自己テスト」が「勉強」を上回ったことだ。

つまり、同じ準備でも、テストと勉強はイコールではないということだ。実際、自分で自分をテストすることのほうが勉強よりも効果が高い。それも、本番の試験までの期間が長ければ長いほど、その差は顕著になる。「誰も見たことのない何かを見つけたのかというと、そうではない」とローディガーは私に言った。

それをすでに見つけていた心理学者は何人かいる。なかでも有名なのが井沢千鶴子で、彼女は1960年代から%年代にかけて、スタンフォード大学で同様の効果を実証している。「当時から自己テストの効果は知られていたし、そに期待もされていた。我々の実験に関ったのは、以前とは異なる種類のもの(紹介した実験では別コラムのもの)を覚えさせたからだと思う。我々は実際に
学校や塾の授業に適用できること、そしてその効果の高さを実証した。その瞬間この研究は羽ばたき始めたのだ」

ローディガーは実験と理論の両方で学習の科学に多大な貢献をしているが、それに伴いこの分野における過去の研究を紐解く役割も果たしている。

自己テストの効果を試すテスト

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2006年に刊行された総説誌で、彼はカービックとともに1世紀分相当の実験を分析した。そしてそのなかで、記憶にとどめるためのありとあらゆる手法(学習間隔をあける、繰り返し学習する、学習環境を変えるなど)
最善のテスト対策は、自分で自分をテストすることを分析した結果、自己テストの効果については以前から知られていたが、忘却のスピードを遅らせる強力な「天敵」とみなされてきたと示した。

結局、どんな種類の学習も、それを測定するためには何らかのテストを実施しないといけない。とはいえ、テストのことを体育の授業での腕立て伏せ大会と同じだと思っていては、大会に参加すること自体が参加者の記憶という筋肉の強化になると気づかない。「テストの実施」という言葉は、学習の科学とは関係のない形で使われることが多い。

教育の専門家たちは何十年にもわたって、テストの実施を標準化することの価値について議論を続けている。また、2001年にジョージ・W・ブッシュ大統領によって導入された、テストの活用増加という改革が議論をさらに加熱させた。教師の多くは「テストのための授業」をしなければならないことに不満を抱いている。

それでは、担当する教科を十分に探求する時間が得られないからだ。ほかにも、テストでは創造的思考に一切目を向けないので、学習現場の尺度として不完全だという声もある。

こうした議論は、カーピックとローディガーが行っているような研究とは無関係である。だが、このふたりやほかの科学者たちの発見をカリキュラムの一環として授業に正式採用することは、実質避けられてきた。「教師が『テストの実施』という言葉を聞くと、その響きが持つ否定的な意味合いや負担から、『これ以上テストは必要ない。むしろ減らす必要がある』と言いだす」UCLAの心理学者ロバート・ビョークは私にそう話した。

こうした抵抗感を和らげようと、テストの実施を「検索の練習」と呼ぶ研究者が現れ始めた。この呼び方は理論的にも筋が通っている。学ぶべきことを万んだあとは、自分で自分にテストするほうが続けて勉強するよりも効果が高いというなら、それには理由があるはずだ。

理由の一つは、ビョークの「望ましい困難」の原理から直接得ることができる。勉強したことのある文章、名称、公式、技などを検索する脳の働きは、見たことのある情報をもう一度見たり、復習したりする働きとは異なり、もっと複雑だ。その複雑な労力が、脳に保存される内容の質や韵検索の力を深めるのだ。

事実や技術をより深く知識として習得するのは、単に復習するのではなく、自らそれを脳内で検索するからである。ローデイガーの考えはその先を行く。必要な情報を検索してうまく引きだすと、その情報は以前とは違う形の記憶として再保存される、と彼は主張する。保存の力が上昇するだけでなく、記憶自体も新しくなり、これまでとは違うつながりが生まれる。検索のときに一緒に引きだされた、最関連性のある新たな情報とつながったということだ。

それにより、記憶を保持している細胞のネるットワーク自体も変わる。要するに、記憶を活用すると、自分で気づかないところで記憶が変わるのだ。

そして、こうした動きから、テストの実施に関する調査は奇妙な方向へと進んでいく。

今学校や塾で行われているテストにはこのような歴史があったんです。

続きは次回のコラムで。

【塾コラム】どちらの文章を多く思いだせるか?の実験

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さて、学問としての考え方を追求することは一休みして、ちょっとした実験をやってみよう。簡単なので、課題に取り組むような気持ちにならずにすむはずだ。

いまから楽しい読み物を二つ紹介する。楽しいと思ってもらわないと困る。というのは、どれだけ足元がふらつこうとも、野性味あふれるユーモアを書かせたら世界一だと私が思う作家の作品だからだ。その作家とは、プライアン・オノラン。ダブリンで役所の職員として長年働いていたが、変わり者でしょっちゆうパブに入り浸っていた。1930年代から1940年代にかけてフラン・オブライエン名義で小説や戯曲を執筆し、また、マイルズ名義で『アイリッシュ・タイムズ」紙に連載していた風刺のきいたコラムはとりわけ世間から愛された。

実際に体験してみよう

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それでは、次の2種類の文章を読んでもらいたい。それぞれ読む時間は
5分とするので4、5回は読めると思う。両方とも読み終えたら本を置き、仕事や用事などに取りかかってもらえばいい。どちらの文章も、オノランがマイルズ名義で書いたコラムを集めた作品集『The Best of Myles』の「退屈な人々」という章に収録されたものの抜粋だ。

荷造りができる男

この怪物は、あなたがアタッシュケースに衣装ダンスニつぶんの荷物を詰めるところをじっと見ている。もちろん、荷物はちゃんと入ったが、ゴルフクラブを入れ忘れてしまう。

あなたが険しい顔で悪態をついている一方、その「友だち」は嫡しそうだ。彼にはそうなることがわかっていたのだ。あなたのそばへやって来ると、慰めの言葉をかけ、「後はうまくやっておくから」と言って下でくつろぐようあなたを促す。

数日後、グレンギャリフに着いてカバンを広げたあなたは、ゴルフクラブだけでなく、寝室のカーペット、家で作業していたガス会社の作業員のカバン、装飾花瓶がニつ、カード用のテープルまで入っていると知る。

家で目に入るものすべてが入っているのだ。唯一入っていないのはカミソリだけだった。このガラクタをすべて家に持ち帰るには、自宅のあるコークへ7ポンドを送金して新しい革のカバン(という名のダンボール)を手に入れねば最善のテスト対策は、自分で自分をテストするならない。

靴底を自分で付ける男

現代の靴の質について不満をもらすからといって、とくに深い顔をしかめて剥がれた靴底を見せながら、「明日修理に出さないやいただけだ。

この受け身の姿勢に驚情するのが怪物だ。いつの間にかあなたを橋座らせて靴を脱がせ、それを手に流し場へ消える。

恐ろしく短いあなたに靴を履かせ、「これでもう新品も同然だ」と言う。彼のにふと目を向けた瞬間、あなたは彼の足が変形している理由を悟った。帰りの道中、あなたは足元がおぼつかない。竹馬に乗っている脳な感じがするのだ。靴底を見るとおがくずとセメントをニスで固めた3センチもの厚さの「革」が貼りつけられている。

読み終えただろうか?『妖精の女王」(邦訳/エドマンド・スペンサー著、和田勇一、福田昇八訳、ちくま文庫)のような大作ではないが、ここでの実験では十分だ。5分ずつかけて両方を読み終え、1時間後にもう一度文章1を読んでほしい。先ほどと同様に5分かけて繰り返し読む。後からテストするつもりで読んでもらいたい(実際にそうしてもらう)。

5分たったら休憩をとる。おやつをつまんで一休みしたら、文章2に移る。ただし、もう一度勉強するのではなく、自分で自分をテストする。何も見ずに、文章2の文言を思いだせるだけ書きだすのだ。10語でもいい。3行ならもっといい。書きだしたら、見直しをせずにすぐに紙をどこかへ片づける。

そして翌日になったら、両方の文章を自分でテストする。それぞれの制限時間を決めて(たとえば5分)、思いだせるだけ書きだすのだ。どちらの文章のほうがたくさん思いだせただろうか?結果に日を凝らし、思いだせた語句の数を数えてみてほしい。

数えているあなたの後ろから用紙を祀かなくても、私にはどちらをたくさん書けたか見当がつく。文章2のほうが圧倒的に多く書けたのではないか。この実験は、カーピック(現在はパデュー大学に在籍)とローディガーのふたりが共同で行った実験と基本的に同じだ。

彼らは、10年ほど前から継続的に行っている研究でこの実験様式を活用している。あらゆる年齢層の学生に何かを覚えさせる実験を繰り返し行っているのだ。覚えるものは、散文、対の単語、科学の話題、医療の話題など多岐にわたる。いまから、彼らの実験の一っを紹介しよう。それを見れば、自分で自分をテストする効果がよくわかる。

【塾コラム】テストをする 最高のタイミングはいつ?

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スピッツァーは、次の大きな疑問を自問した。テスト(暗唱、自己テスト、抜き打ちテスト、正式な試験のいずれも含む)で学習が向上するとすれば、テストをする最高のタイミングはいつか?

塾や学校でもテストはたくさん行われますよね。もちろん天王寺の塾でも行われます。その最適なタイミングについて研究していた。

それを見つけるため、彼は大規模な実験を計画し、アイオワ州内9都市にあるgの小学校の協力を得ることになった。総勢3605人の小学6年生が被験者だ。

スピッツァーは、小学6年生が読むのに適した600ワードの記事を2種類用意した。記事の内容は学校で宿題に出されてもおかしくないレベルのもので、ピーナッツに関する記事と竹に関する記事だ。各児童にどちらか一方の記事を割り当て、1回読ませた。それから、児童を8グループに分け、その後2カ月にわたってグループごとに何度かテストを実施した。出題するテストの内容は同じにし、5個の選択肢から正解を選ぶ問題を拓問出題した。たとえば、竹の記事を読んだ児童には次のような問題が出題された。

Q.開花期が終わった竹は、一般にどうなりますか?

  • 新芽が出る
  • 根から新たな茎が伸びる
  • 枝が広がり始める
  • 粗皮病(荒川病)が発生する

スピッツァーのこの実験は、たぶんいまでも、抜き打ちテスト実験としては過去最大の規模で実施されたものだろう。子どもたちには、テストの日程はもちろん、テストがあることすら知らせなかった。テストの日程はグループによって変えた。グループ1の児童には、1回日のテストを記事を読んだ直後に、2回日を翌日に、3回日を3週間後に実施した。グループ6の1回日の後だった。子どもたちが学習する(記事を読む)時間とテストで出題される問題は同じという条件だ。ところが、テストの点数に大きな開きがあり、一つのパターンが明らかになった。2カ月後に最終テストを一斉に実施したところ、記事を読んですぐに1回目のテストを受けたグループ(1週間以内にテストを1回または2回受けたグループ)がもっとも成績がよく、問題の約50パーセントに正解した(彼らは記事を1回しか読んでいないということをお忘れなく)。

対照的に、1回日のテストを2週間以上後に受けたグループの点数は低く、正解率は30パーセントに満力な学習テクニックの一つだと実証するがいいことも明らかにしたのだ。「テストという形で勉強したことをすぐに思い返す。これは、学んだことを記憶にとどまりやすくするのに効果的だ。したがって、テストの回数はもっと増やすべきである」とスピッツアーはまとめた。「自分の知識を確認するテストや正式なテストは学びを高めるツールでもあるので、教え子の学力を測る手段でしかないと思ってはいけない」記憶を保持する力を高める研究をしている者ならば、スピッツァーの発見を自身の研究に大きく関係するものとして受けとめるべきだったのではないか。

では塾や学校で行うテストの最適なタイミングは?

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ここでちょっと、別のコラムで触れたバラードの「レミニセンス」に話を戻そう。「へスペラス号の難破」を教材にした実験に協力した子どもたちは、この詩を一度しか読まなかったが、その後数日にわたって詩を書きだすテストを何度か受けると、後になるほど多くの内容を思いだした。

詩を勉強した(覚えた)日からテストを受ける日までの時間(1日、2日、1週間)に注目してもらいたい。この期間こそまさに、スピッツァーが見つけた記憶の保持にもっとも役立つものだ。ゲイッとスピッッァーの実験から、バラードの実験に協力した子どもたちのテスト結果がどんどんよくなったのは、奇跡でも何でもなく、その前に受けたテストが勉強時間となったからだと実証されたのである。しかし、スピッツァーの研究成果が『The Journal of Educational Psychology」誌に掲載された後も、それを記憶の保持に結びつける者は現れなかった。

これについて、ヘンリー・ローディガー3世と、当時彼と同じワシントン大学にいたジェフリー・カーピックは、2006年に発表したテストがもたらす影響について考察した画期的な論文一つで、「我々には理由を推測することしかできない」と記している。そして、考えられる理由のとして、当時の心理学者の主たる関心の対象がまだ忘却にあったことをあげた。「忘却の働きを測定するという日的においては、繰り返しテストをする行為は混乱の元凶とみなされ、避けたほうがいいとされてきた」。スピッツァーと同時代の心理学者の言葉を借りるなら、彼の発見は忘却という機能を「損なわせた」のだ。

機能を損なわせたのは事実であり、いまもその機能を損なわせている。そして、その忘却を損なわせる行為が思考や成績の改善を誘発するとは、当時は誰も予想しなかった。スピッツァーの研究から30年以上が過ぎてようやく、ゲイツとスピッツァーが見いだしたことの可能性に目を向ける者が現れた。ウィンストン・チャーチルが提出した、染みと不鮮明な箇所があった答案用紙を思いだしてほしい。これはとうてい失敗とは呼べない。たとえ点数がゼロであったとしても、テストを受けたことには意味があると、いまならどの科学者も知っている。

【塾コラム】ゲイツの研究を進展させた スピッツァー

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ここでは前回の記事に続いて、学習の礎を築いた歴史的に偉大な二人を紹介します。
塾で勉強していても、学校で勉強していてもなかなか知ることができない内容なので是非読んでもらいたいです。

ゲイツの発見した理論はは画期的な発見だったのか?答えはイエスだ。この発見は、初めて厳密な実験にもとづいて実証された学習テクニックであり、もっとも効果が高いテクニックの一つとみなされている。しかし、当時そう考える人はひとりもおらず、学校に通う一部の子どもたちを対象とした、単なる一つの実験にすぎなかった。

ゲイツ自身ですら、その結果が及ぼす影響の大きさに考えを巡らせていなかった。少なくとも記憶の一要素としれていない。彼のこの研究は、議論されることも追跡調査が行われることもほとんどなかった

その理由は至って明快だと私は思う。20世紀の半ばあたりまで、心理学は比較的若く成長が不安定な学問で、著名な学者たちが発展の足を引っ張っていた。当時はまだフロイトの考え方が長い影を落としていて、それに追随する研究プロジェクトが何百とあった。また、イワン・パブロフの実験をきっかけに条件づけ学習に関する研究が人気となり、その後何十年にもわたって動物実験が大半を占める刺激の反応実験が盛んに行われた。教育に関する研究は手探りの段階で、調査対象は、読むこと、学習障害、音声学、さらには、学校の成績に感情的な側面が及ぼす影響にまで及んだ。

ここで忘れてはならないのが、心理学もほかの科学と同じで、過去の参考になる研究の収集が、進展の一端を担っているということだ。科学者は、アイデアや理論を思いついたり、日標を持ったりすると、過去を振り返って足場になる研究はないかと探す。同じアイデアを抱いた人や、自分のアイデアを支持する成果に目を向けるのだ。

科学は偉大な巨人が築いた礎の上に成り立っているかもしれないが、現在進行形で研究を行っている科学者には、過去の文献をあたってその巨人たちが誰かを確認することが必要となる。また、過去のデータから有益な情報を引きだす、つまりは足場とする過去の成果を見いだすことは、研究プロジェクトの根拠を生みだすことにもつながると言える。

偉人を受け継ぐ偉人

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ゲイツの貢献の大きさは当時は明らかにならなかったが、その重要性に世間が気づくのは自明だった。教育の改善は、当時もいまも関心を集めるテーマの一つだからだ。そして、ゲイツの論文が発表されてから10年以上がたった1930年代後半、ゲイツの研究が自身の研究の根拠になると気づいた者がいた。アイオワ州立大学で博士課程の学生だったヘルベルト・F・スピッツァーだ。

1938年、彼は卒論実験のテーマを探していた。暗唱そのものには興味がなかったため、記奥の詳細について研究する従来の心理学者たちが結成した小さなクラブには所属しなかった。

スピッツァーは指導法を改善する道を探したいと考えていた。一般に、教師がその職に就いたときから抱える最大の疑問は、もっとも効果的なテストのタイミングはいつかということだ。学期末で大きな試験を1回するのがベストなのか。それとも、学期の途中で定期的に何回かテストを課すほうがいいのか?

スピッツァーがどう思っていたかは、何も書き残していないので想像することしかできない。ただ、彼がゲイッの研究を読んだことは書き記している。また、彼がゲイツの研究をきちんと受けとめていたこともわかっている。具体的に言うと、スピッツァーは、ゲイツは暗唱という形で子どもたちに自らテストすることを課していたと気づ5分か10分かけてページの一節を読み、それからページを伏せて何も見ずに暗唱する。これは暗唱の練習になるだけではない。一種のテストでもある。ゲイツは、自分で自分をテストすることが本番での発表に大きく影響することを実証した。要するに、テストを課すことは、効果的な勉強法の一種でもあるということだ。

【塾コラム】「覚える時間」と「練習する時間」を作る

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アメリカ大陸で掲載されることが名誉とされた最初の記録は、1899年に初版が発行された『Who’s Who in America』という紳士録だった。ここに、政治家、起業家、聖職者、鉄道事業専門の法律家など、社会で活躍するアメリカ人8500人以上の短い略歴が掲載された。コンパクトにまとめられたプロフィールに加え、歴史的な情報も含まれている。

30秒あれば、アレクサンダー・グラハム・ベルは1876年に電話の特許を取得したが、それは29歳の誕生日を迎えた数日後のことで、当時彼はボストン大学で発声生理学の教授をしていたことがわかる。そして、次に続くのは彼の父親であるアレクサンダー・メルヴィル・ベルだ。父親も発明家だったが、演説の専門家でもあり、聴覚障害者が特殊な記号を使って会話をする視話法を考案した。そして、そのまた父親のアレクサンダー・ベル(ミドルネームはなくエジンバラで生まれた)は、発話障害の治療を始めた先駆者だった。

電話を発明したベル

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ALEXANDER G. BELL-At home listening to his radiophone set, 5-6-22.


ご存じだろうか?電話を発明したベルとその父親のベルは、ともにエジンバラで生まれながら最終的にはワシントンDCに落ち着いた。父親のほうは35番通り1525番地に、息子はコネチカット街1331番地に住んでいた。そう、この紳士録には住所も掲載されているのだ(へンリー・ジェームズの住所はワイト島のライとなっている)。

1917年、コロンビア大学の若き心理学者があることを思いついた。紳士録という凝縮された情報の集まりは、ある問いの答えを見つけるのに役立つのではないか。アーサー・ゲイツは、暗唱という行為が記憶に与える影響に興味を持っていた。何世紀ものあいだ、学校の授業では、叙事詩、歴史上重要な人物の言葉、聖書の一節などの暗唱に膨大な時間が費やされてきた。いまではすっかり授業から消え去った学習法の一つだ。

ゲイツは、読む(覚える)時間と暗唱する(練習する)時間のいと考えた。たとえば、旧約聖書の詩篇%篇(主は私の羊飼いきるようになりたい場合、聖書を見て詩篇を覚えるのに何分使い、るのに何分使うべきなのか?記憶にもっとも定着する比率はどれなのか?ていれば、暗唱が授業の中心だった時代ではとくに重宝されただろう。

とはいえ、この比率は現代でも役に立つ。シェイクスピアの『ヘンリーV世』に出てくる「聖クリスピンの祭日の演説」を覚えないけない俳優はもちろん、プレゼンの準備、歌や詩の勉強をしている人にも役立つ。

現代の塾学習の礎

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この比率が存在するかどうかを確かめるため、ゲイツは地元の学校5クラスを使って実験を行った。クラスの学年は、小学3年生から中学2年生にわたる。ゲイツは紳士録を覚えて暗唱することを子どもたちに課した。覚える数は学年によって変え、最年長のクラスは5人分を、最年少のクラスは3人分とした。

覚える時間は1人分につき9分とし、その9分の使い方も細かく指定した。Aグループは覚えるのに1分B秒使い、残りの7分B秒で暗唱の練習をした。Bグループは9分を半分にし、覚えるのと暗唱の練習に同じ時間を使った。Cグループは、覚えるのに8分使い、暗唱の練習は1分だけ。このように、グループごとに時間配分を変えた。

3時間後、暗唱を発表するときがきた。子どもたちは、割り当てられた略歴を覚えているかぎり暗唱した。

これはアメリカでの話ですが、日本で、また天王寺の塾でも同じ効果を得られると考えられます。

「エドガー・メイヒュー・ベーコン。作家。誕生日は、えっと、1855年の6月5日。バハマ諸島のナッソーで生まれて、ニューヨークのタリータウンにある私立学校に通いました。アルバニーの書店で働いて、それから確か芸術家になって、その後『ザ・ニュ:ージャマイカ』と、えっと『スリーピー・ホロー』を書きました。たぶん」

このように、次から次へと発表させた。イーディス・ウォートン、サミュエル・クレメンス、ジェーン・アダムズ、ジェームズ兄弟:。100人以上の子どもが、覚えた略歴を暗唱した。そうしてついに、ゲイツは独自の比率を割りだした。

彼の結論はこうだ。「総じて言うと、最高の結果が得られるのは、およそ30パーセントの時間を覚えるのに使った後で暗唱の練習を始める場合だ。暗唱の練習を始めるのが早すぎても遅すぎても、暗唱の精度は低くなる」。

年長の生徒になると、覚えるのに使う時間の割合はもっと少なくすむようになり、全体の3分の1前後となった。「読む時間と練習の時間を最適な割合で使ったグループの結果は、読むことにすべての時間を費やしたグループに比べて%パーセント近く優れていた」と彼は書いている。

これは言い換えると、『ヘンリーV世』の「聖クリスピンの祭日の演説」を最短で暗唱できるようになりたいなら、最初の3分の1の時間を覚えることに使い、残りの3分の2を暗唱の練習に使えということだ。

塾でも英語の授業やその他の学習で取り入れられるノウハウです。こういったノウハウを取り入れる塾が増えていて天王寺でも学力レベルはどんどん上がっていると言えるでしょう。

テスト対策のスキルを高める 「自己テスト」を行う!

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テスト対策は塾でもたくさん行われていますが、自己テスト、というのを聞いたことはありますか?

流暢性の幻想から逃れ、テスト対策のスキルを向上させるにはどうすればいいのか。都合のいいことに、学習効果の高いテクニックがその最善策となってくれる。

このテクニックは近年になって生みだされたものではない。義務教育が誕生して以降、もしかするとそれ以前から使用されている。哲学者のフランシス・ベーコンは、1620年にこんな言葉を残した。

「本の一節を暗記しら、の回読むよりも、暗唱を試みて思いだせないときに本を開くということを織り交ぜな回読むほうがいいそして1890年には、アメリカ心理学界の祖として知られるウィリァム・ジェ「ムズ。こな言葉を残している。彼もベーコンと同じことを考えていたようだ。「記憶の奇妙な点で気になることが一つある。それは、受動的に繰り返されたことよりも、能的に繰り返したことのほうが強く脳に刻まれるという点だ。

たとえば、何かを暗記しようとしてほほ覚えたと思ったとき、間を置いてから記憶をたどって思いだすほうが、もう一度本を開くょりもいい。記憶をたとって思いだせば、次に思いだそうとしても思いだせるだろう。しかし、本を開いて覚えた内容をかめれば、もう一度本を開かないといけなくなる可能性が高い」

自己テストには大きな価値がある!

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つまり、「覚えているかどうかをテストする」のだ。ややこしい論に聞こえると思うが、自分の記憶をテストすることが、本番のテストでの成績向上につながる。侮ってを試すことには、自分で思う以上の価値がある。

テストは自分の力を測るツールだけでなく、思いだす内容を修正し、それに伴い知識の整理の仕方を変える役割も果たす。それにより、後から思いだす力が格段に高まるのだ。

天王寺の塾でもこういった目的で定期的にテストを行っている塾が多い。

【塾コラム】テストを失敗させるのは「流暢性」

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この話はちょっと意外に思うかもしれないが、こちらのほうがテストを台無しにする人に深く関係している。問題用紙を開いたときに、試験勉強で解いた問題や、黄色のマーカーで線を引いたことが目に入ってきたという経験は誰にでもあるだろう。前日にたやすく空で答えられた名称、理念、公式が並んでいる。引っ掛け問題も見たことのない問題もない。それなのに失敗する。いったいなぜなのか?どうしてそんなことになるのか?

天王寺の塾で働いている私自身、最低最悪の失敗をしでかしたことがある。高校生のとき、大学レベルの授業を行う上級クラスに入るには、三角法の学年末試験で高得点をとる必要があった。だから、前から準備をした。試験当日、私はほっとした。勉強しておいた概念がいくつか出題されてい問題とよく似た問題もあったからだ。

しかし上級クラスには入れなかった。原因はもちろん私自身だ。私は「試験を受けるのが下手な子ども」だったし、自分を責めた理由はすべて間違っていた。

塾の先生も挫折を経験している

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流暢性とは、情報を適切に素早く処理し出力する能力のことである。事実や公式や要旨がその場ですぐに思いだせると、翌日や翌々日になっても思いだせると信じてしまうのだ。この流暢性が招く幻想は非常に強力だ。主題や課題の内容をつかんだと思えば、それ以上勉強する必要はないと思い込む。人は忘れるという事実を忘れてしまうのだ。

流暢性による幻想を生みだす「学習テクニック」は数知れない。マーカーで線を引く、試験対策を立てる。教師が配る章の概要や参考書だってそうだ。流暢性は自動的に錯覚を引き起こす。無意識に錯覚が生まれ、復習や練習の必要性を正しく判断できなくなる。

「同じ内容の勉強を2回するとき、勉強する間隔をあけると2回日の勉強が大変になるとわかっているので、間隔をあけるのは非生産的だと考えてしまう」

ウィリアムズカレッジの心理学者ネイト・コーネルは私に話した。

「だが事実はその反対だ。たとえつらいと感じても、間隔をあけたときのほうが多くを学ぶ。流暢性が判断を惑わせるのだ」

だから、テストの悲惨な結果を「テストに対する不安」のせいにする。それ以上に、自分の頭が悪いせいにしてしまう。ビョーク夫妻が「望ましい困難」と呼ぶ原理を思いだしてほしい。

脳の記憶を掘り起こす作業が大変になるほど、学習の力(検索と保存の力)が高まる。流暢性はこの方程式の裏返しだ。事実を簡単に思いだせるようになるほど、学習の力が衰える。勉強して覚えた直後に復習しても意味はない。

記憶に何のメリットも生まれない。つまり、流暢性が生みだす幻想が、テストで平均点を下回る成績を招く主犯なのだ。不安のせいでもない。頭が悪いせいでもない。不公平が原因でも、運が悪いのでもない。
元凶は流暢性にある。

【塾コラム】テストが悲惨な結果になることも、、

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人生のどこかの時点で、人は必ず「努力しなくても試験でいい点数をとる子」に出会う。「何が起きたのか自分でもわからない」と言いながら、100点満点の試験で90点をとっている。「ろくに勉強しなかったのに」と彼女は言う。こういうタイプの子は、大人になってからも必ず周りに現れる。

天王寺で塾でも、スラスラと授業を理解し、苦労なく良い点数を取る生徒さんは確かにいます。

自分の子どもが学校に通うようになれば、すぐに見つかる。子どもを迎えに行き、その場で会った母親から、「よくわからないのだけど、うちのダニエルが共通テストでいちばんだったの」と驚いたような顔で言われる。「私に似たんじゃないことは確かよ」。どれだけ準備をしても、どれだけ早起きして取り組んでも、大した努力もせずに自分以上の結果を出す子や、なぜか試合になると活躍する子は必ずいる。

そういう子の能力を解明しようというのではない。私は、試験を受けることを一つの技術として切りとった研究について何も知らないし、その能力が絶対音感のように生まれ持った才能だという証拠があるかどうかもわからない。そういうタイプの人間が存在すると教えてくれる研究は私には必要ない。この日でしょっちゅう見てきたからだ。それに、彼らの能力を養んだところでその差は縮まらないとわかる年齢でもある。そんな研究を探したり、美深んだりしても意味はない(経験者が語るのだから間違いない)。
テストで本当に力を発揮できるようになる何かが欲しいなら、ものをもっと深く理解する以外に道はない。テストは決して単純なものではない。あなたが想像する以上にさまざまな顔を持っている。まずは、テストを受ければ「惨事が起こる」可能性があるということから話を始めよう。惨事は誰の身に起こってもおかしくない。

無知を味方にする

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問題冊子を開いたら、全部別の授業に関する問題だった、という経験があなたにもあるのではないか?これについては大好きな逸話があり、何かで挫折を味わうと、私は必ずこの話を思いだす。ウィンストン・チャーチルは、イギリスの名門男子校であるハーロー校の入試に備えて何週間も前から準備をしていた。彼はどうしてもこの学校に入りたかった。1888年3月、いよいよ迎えた入学試験当日、チャーチルが試験問題を開くと、そこにあったのは歴史と地理の問題ではなく、まったく予想していなかったラテン語とギリシャ語の問題だった。

頭が真っ白になった、と彼は当時のことを振り返っている。そして、1問も答えることができなかった。「答案用紙のいちばん上に自分の名前を書いた。それから、問題の番号である『1』と書いた。しばらく考えて、それにかっこをつけることに決め、『Q』とした。だがその後、正しい答えも、答えに関係がありそうなことも、一切思いつかなかった。

用紙に付いた染みと不鮮明な箇所がたまたま日に入り、まるまる2時間、その悲しい光景を見つめていた。そして終了時間になると、係の者がうやうやしく私の答案用紙を回収し、校長の机まで持っていった。

これがあのウィンストン・チャーチルの身に起きたのだ。

どんなに優秀でどんなに努力してもその努力が必ず実るとは限りません。

大切なのは正しい努力をするということ。

塾ではテストで確実に点数を取れる勉強法を学んで欲しいと思っています。

【塾コラム】試験が1週間後なら1~2日あけて勉強する

前回の【受験までの期間に応じて学習間隔を変える】の続きです。

今回も塾っぽい内容のコラムなので天王寺の塾の皆さんも読みやすいんじゃないかと思います。

試験までの期間で感覚をあける

試験が1週間後にあるときの最適な間隔は、1日か2日だ。試験が6カ月後なら、最適な間隔は3〜5週間となる。それ以上間隔をあけると、たちまち成績が下降する。大学生、高校生、中学生ならば、「基本的に、1の間隔をあけて勉強すればいいということです。それでほとんど対応できるはずです」とワイズートは私に言った。例をあげて説明しよう。学期末を迎える3カ月後にドイツ語の試験がある。そうすると、少なくとも2カ月は知識の習得に費やすことになるので、復習にかけられる期間はせいぜい数週間しか残らない(大学院生は除く)。仮に、復習できる期間がB日あるとしよう。

また便宜上、ドイッ語の試験勉強に使える時間を9時間とする。この場合、復習の最適なスケジュールは、1日日に3時間、8日日に3時間、H日日に3時間となる(1日程度のずれは許容範囲)。どの時間も復習する内容は同じだ。そしてB日日の試験当日には、少なくとも9時間一気に勉強したときと同等の力が発揮できる。

長期記憶にとどまらせる!

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ただし、学習時間を分散したことにより、覚えたことははるかに長く記憶にとどまる。この例のケースでは、何カ月も覚えていることになる。だから、次の学期が始まってすぐの試験では、以前よりもいい成績を収める可能性が高い。仮に試験当日になって試験が数日延期されることになれば、一夜漬けで9時間勉強した学生よりもはるかに優れた成績を収めることになる。勉強し時間は同じだが、間隔をあけて勉強したおかげで、覚えたことが頭に残っているからだ。

繰り返すが、切羽詰まった状況のときは一夜漬けでも問題ない。それで覚えたことは鷹にとどまらないというだけだ。学習時間を分散すれば、記憶に長くとどめることが可能、事前に計画を立てることが必要だ。

計画を立てて、勉強したことを無駄にしない

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タダで手に入る優れたものなどない。とはいえ、間隔をあけた学習は、限りなく無料に近い形で手に入る科学の成果であり、試す価値は分にある。時間を分散させる科日は賢く選ほう。間隔をあけることは、覚えたことを記憶にとめるための基本テクニックだ。外国語、科学の用語、名称、場所、年号、地理を覚えたり、スピーチする内容を暗記したりするのに適している。

より多くの事実を覚えれば、理解も深まるの%。これについては、数名の研究者が数学をはじめとする理系科日について調査を始めまのところ、分散学習は記憶にとどめるためのテクニックの一つだと思っておいて(彼自身が恩恵を受けた、語学教師や無償の海外旅行を強調することはなかった)。

1901年にされた著書『心理学についてー教師と学生a語る』(邦訳/大坪重明訳、日本教文社)のな分散効果を思わせるくだりがある。「詰め込み学習は、試練を前に集中して努力することでものごとを印象に残そうとする。

だが、そうして覚えたことから想起のきっかけとなるものが形成されることはほとんどない。一方、同じことでも環境や日を変えて覚えると、異なる状況のなかで読む、暗唱する、思いだすという過程を繰り返し、ほかのこととの関連づけが生まれ、覚えたことを復習することになるので、頭のなかに深く刻み込まれる」

100年以上たったいま、科学者たちはようやく、ウィリアムの言う「日を変えて」がいっかを具体的に答えられるようになったのだ。