短期記憶で維持できるあいだだけ
スコヴィルは、モレゾンが抱える困難をモントリオールにいるふたりの医師に話した。
ワイルダー・ペンフィールドと、彼とともに働く若き研究者のブレンダ・ミルナーだ。
ミルナーは、数カ月おきにモレゾンに会いに夜行列車でハートフォードにやって来て、彼の記憶について調べるようになった。
それが10年に及ぶふたりの何とも不思議な関係の始まりだった。
ミルナーはモレゾンに対して次々に画期的な実験を紹介し、モレゾンは実験の目的をきちんと理解したうえで同意し協力した。
といっても、実験の内容を覚えていられたのは、短期記憶で維持できるあいだだけだったが。
その短い時間でふたりの協力関係が生まれたと、ミルナーは言う。そして、ふたりの共同実験が、学習と記憶に対する認識を一変させることとなる。
初めての実験はスコヴィルのオフィスで実施され、ミルナーがモレゾンに数字の5、8、4を 覚えさせた。
覚えさせると、ミルナーはオフィスを出てコーヒーを飲み、20分後にオフィスに戻って「数字は何でしたか?」とモレゾンに尋ねた。
モレゾンはちゃんと覚えていた。ミルナーがいないあいだ、頭のなかで繰り返し数字を唱えていたのだ。
「大変よくできました」ミルナーはさらにこう続ける。
「では、私の名前を覚えていま すか?」「わかりません。申し訳ない」とモレゾンが言う。
「記憶に問題がありまして」
「私は医師のミルナーです。モントリオールから来ました」「カナダのモントリオールですか。カナダには一度行ったことがあり、トロントを訪ねました」
「そうでしたか。ところで、数字はまだ覚えていますか?」
「数字?数字なんてありましたか?」
「彼は慈愛に満ちた人でした。とても我慢強くて、私が与えるどんなタスクにも積極的でした」
いまやマギル大学モントリオール神経学研究所の認知心理学教授となったミルナーは、私にこう語ってくれた。
「といっても、私が部屋に入るたび、初対面のような態度でしたけどね」
1962年、ミルナーはモレゾンとの画期的な研究成果を発表し(プライバシー保護のため、当時はH・Mというイニシャルが使用された)、彼の記憶の一部はまったく損傷を受けていないことを実証した。
ミルナーは、自分の手の動きを鏡で見ながら星の形を紙に描くというタスクを何度かモレゾンに課した。
それだけでも描きづらいのに、ミルナーはさらに描きづらくなる要素を加えた。
紙にあらかじめ二重線で星を描いておき、その線のあいだを迷路をたどるようになぞらせたのだ。
H・Mはこのタスクに取り組むたび、まったく新しい体験に感じた。
以前にそれをした記憶がないのだ。
しかし、回を重ねるごとにうまく描けるようになっていった。
「このタスクを何度も行うようになってから、あるとき、彼は私に言ったのです。
『思っていたよりも簡単でしたよ』と」とミルナーは言った。
ミルナーの研究の意味は、すぐには十分理解されなかった。
モレゾンは、新たに出会った人の名前や顔、新たに知った事実を覚えることはできなかった。
新しい情報として脳に記録することはできても、 海馬がないとそれを維持することができないのだ。
このことから、海馬とその周辺組織(外科手術で切除された部分)は、当然ながら記憶の形成に不可欠だということになる。
とはいえ、星を描くといった身体的な能力を新たに習得することは可能で、晩年には歩行器を使えるようにもなった。
この種の能力は運動学習と呼ばれ、海馬に依存しない。
つまり、ミルナーの研究は、脳が扱う記憶は少なくとも二つあると実証したのだ。
顕在記憶と潜在記憶
その二つとは、顕在意識で扱う顕在記憶と、潜在意識で扱う潜在記憶だ。
たとえば、歴史や地理の授業で今日学んだことを、さかのぼって思いだしたり書きとめたりすることはできるが、サッカーの練習や体育の授業で学んだこととなるとそうはいかない。
こういう身体的な能力の向上に、思考はあまり必要ではない。
6歳で初めて自転車に乗った曜日を覚えている人はいるかもしれないが、実際に乗るのに必要な身体的能力を正確にあげることはできない。
バランスをとる、ハンドルを操作する、ペダルを遭ぐといった能力はいつのまにか身について、あるとき突然乗れるようになる。
乗り方をさかのぼって思いだす必要も「勉強する」必要もない。
こうして、記憶は脳内のさまざまな場所に散らばっているという理論は間違いだと判明した。
記憶を形成する部位は決まっていて、その部位は記憶の種類によって異なるのだ。